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Twitterにはサブアカウントもありますが、インテリジェンスと品性と謙虚さ加減(デリカシー)で座標軸作って割り出した数値で、この人とこの人は同一人物では. . . ということがあります。
それにしても、ほとんど変化のないような絵にたくさん♡を押してくださって、皆様ほんとにお優しい。数字にはこだわらないけれど、数字の後ろに人がいる。できるだけ投稿を消さないようにします。でも自分は♡消されても全然平気です。色々都合があるもの。
ポーズでなんとなくキリストの磔刑図を思い出しました。昔、女の背負ってきた十字架、セクシーで美しくあらねばならぬという十字架(女はまたそれを楽しみもしたが)ウエストを締め上げ、落ちそうなものを儚げにすくい上げる(バストも髪もズロースも)。そんなものを「紐」は担ってきたとふと思った。
現代社会がとてつもない方向に進んでいるのではという不安、危惧が常々あり、無理なのは判っていながら退行したいという欲求が、私の中にあるような気がします。そのことが自身の好みが懐古趣味になる一因を形成しているようにも思います。
過去の投稿の中でふと口にした
「不在の水」という言葉
薔薇の刺のように
心に刺さったまま抜けないので
そのまま題名にすることにした
水は描かないけれど
花びらに含まれている水
空に含まれている水
空気に含まれている水
感じながらもっと・・・・もっと
[油彩]