画質 高画質

武士への差別意識は著作に結構著れており『神皇正統記』では「武士連中は全員数代の朝敵で家を失わないだけ有難いと思え」と記述
同著では南朝方の大物楠木正成と新田義貞の戦死の部分もほぼ無視してます
尊氏もずっと「高氏」表記。これは尊氏表記を続けた後醍醐がおかしい
 

25 70

思想も親子で似通っている…というより顕家が親房の影響を受け継いでる部分があり「北畠顕家上奏文」もいくつか父の代弁じゃないかとも言われています
一番言われているのが「無暗矢鱈に武士に官位を与えて朝廷の仕事をさせるな」という思想で立場としてはガチガチの保守派

27 86

地元比企郡の英雄だった重忠公を全国で愛される人物に昇華して頂き、本当に感謝しております


10 37


ID:1866529866
9月分4枚目!🤟

謎の武士俑発見される!?
※秦始皇の兵馬俑コラボテーマ

0 50

武士道とは死ぬことと見つけたりだよ~♡

48 97

後醍醐帝は自分が「一代の主」で終わらないために、両統迭立の調停を行っていた鎌倉幕府を潰すことを画策
幕府に叛意を持つ者を呼び込み倒幕のための会合を開く
参加者は公卿、学者、僧、武士と身分の分け隔てなく、これが上下関係不問の宴「無礼講」の語源と言われている
 

105 533

お気に入りの加増と北条領地の没収を除いてはめんどうなので他の公卿武士は現状維持
まさに逃げ若のそれで小笠原貞宗公はガッカリ https://t.co/JWvlfzyYSZ

7 19

顕家卿が鏑矢で語った遺言「野に咲く花」への一喝でもあり、最後の最後で「獣」と蔑んでいた武士達を素直に「花」と認めた上で「まだ死ぬな」と命じた厳しい命令でもあるダブルミーニングで正に歌に秀でた貴族らしい掛け言葉であり、顕家卿らしい照れ隠しでもある

113 526

最後の最後で「自分の敬意は行動で伝え」そして獣相手に言葉ではなく「心で読み取らせた」顕家卿、最期まで武士ではなく貴族として美事な在り方でした……

121 572