初の太政大臣爆誕。
後々爆増えしちゃってイメージ変わっちゃうけど、この段階では天智天皇による大友皇子のためだけの官職だと思っているよ!
そして次の太政大臣は高市だよ!

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大友皇子の子(母は十市皇女)、葛野王が卒去。
享年三十七歳は若いですね。
本人も血統としては申し分ないレベルの人物ですが、高市皇子薨去後の皇位継承会議で親子間の継承を主張して軽皇子立太子を推し、もの申そうとした弓削皇子を一喝したという場面が有名です。

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79年:ヴェスヴィオ火山噴火。ポンペイ埋没
410年:西ゴート族がローマを陥落、掠奪を行う(ローマ掠奪)
672年:大友皇子(弘文天皇)が自決。壬申の乱終結
1572年:サン・バルテルミの虐殺
1904年:遼陽会戦始まる(日露戦争)
1927年:美保関事件
1936年:中国成都で邦人が襲撃され死傷(成都事件)

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そして今年も旧暦では間に合わなかったのでこの日に合わせて大友皇子絵仕上げました。
私の気持ち的にはここが壬申の乱からの一区切りですね。

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石上(物部)麻呂の忌日です。三月三日はひな祭りの日以上に麻呂の日になってしまった。
大友皇子の最期まで従ってたことでうちでは重要人物ですので…!!新規で絵描きたかったけど昨日は時間なかったので物部時代と石上時代の麻呂絵再掲で。

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お題「初代」

後に有名なあの人もあの人もなってる太政大臣もスタートはこの人からですよ!ということで、近江朝太政大臣大友皇子です。しかしあまり冠されることないですね。
次代の高市皇子、そして奈良時代までは職掌や意味合いも全く連結してないと思いますが。

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というわけで、#壬申の乱2020 六月からやってまいりましたが、この日をもって私としては一区切りの気持ちなので、この期間中にずっとローペースで描いてた大友皇子絵を。近江朝の総大将らしい絵をちゃんと描きたかったのでした。
今後もまだ壬申の乱関連記述は出てきますので継続して上げていきます。

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物部麻呂は最期まで大友皇子に従った忠誠が評価されたという優しい解釈も捨てがたい。
控えめにアッピールしてしまいますがやはり麻呂と大友の主従は妄想が捗るところですよね…8歳差わるくない…

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三船忌日辺りからずっと描きたかったんだけど体調がよくならずで今頃になってしまった。
大友皇子系譜の池辺王(大友孫)&三船王(大友曾孫)父子。三船は全力で人見知りする子。顔はほぼ同じなのにキャラが突然変異気味。最近池辺王周辺をずっと考えてるので父子で描いてみたかったのでした。

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天武持統朝以降の近江朝の踏襲は色々ありますがこの太政大臣については状況と要素の違いはあるかもしれないけど、高市どんな気持ちだったのかしらと思わずにいられない。初代が大友皇子な以上半永久的に名前並びますよ…!
高市、四十越えるくらいで薨去なので最晩年でもヒゲ無しでいくことにした。

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672年8月20日(弘文天皇元年/天武天皇元年7月22日) - 壬申の乱: 瀬田川の戦い。大海人皇子軍と大友皇子の近江朝廷軍が瀬田川で戦闘。

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最近絵を描く意欲の浮き沈みが激しいけど飛鳥時代~奈良時代をメインに三大推し(大友皇子・大伴旅人・早良親王)を中心に回る古代史やってます。(単発で時代遡ったり下ったりも)

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大友皇子の漢詩が大好きなので添えた大友の絵を置いときます。

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7/20 『テーマ/ 672年 壬申の乱』大友皇子
天智天皇の第1皇子。天性明悟、博く古を雅愛した皇子は壬申(じんしん)の乱で大海人皇子に敗れ24歳で自殺。

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兄の御行は壬申紀に全然出てこないんだけどね。この兄弟は大友皇子とほぼ同年代だと思います。

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頭いたくない時にみてね🤗大海くんちの葛城お兄ちゃん、大友皇子(お兄ちゃんの子)、大田皇女(大海君の妻でさららちゃんの姉)、額田皇女(大海君の妻でほぼ離婚 天照の一族なので全員同じ色……

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672年に壬申の乱で大友皇子を倒してから即位する大海人…天武天皇の御世の元号が「朱鳥」なのが、私はすごく好き。です

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賜った死がどんな手段なのかが気になりますね。
その後に続く人となりの記述が割と懐風藻の大友皇子の伝と似ている印象なんですが「詩賦之興、自大津始也」とあるのは大友を差し置いて…!!と思いつつ大友は詩賦の黎明だということにする。山辺はまだ描いたことがないので姉弟絵置いときます

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