淡海三船は最初早良関係で入った人だったんですけど遡って近江朝、大友皇子に沼った時には運命感じたものでした。漢詩へ興味を持つようになったきっかけでもあるかな…「文人の首」と呼ばれた相方の石上宅嗣と併せて興味深い人物です。先祖もそれぞれ関わりがあるわけだし。人物の繋がり面白いなあ…

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葛野王、ここでは何も系譜に言及がないけど大友皇子の子で天智天皇の孫(同時に天武天皇の孫)。葛野王の孫の淡海三船の薨伝で系譜がわかります。あと懐風藻に詩があってそちらにも伝あり。大友皇子の系譜は三船に至るまで思い入れが深いです。

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大友皇子と近江朝五大夫の誓いは十一月二十三日にも内裏西殿の繡仏の前での誓いがあり、これだけ誓ったのに…と壬申の乱に思いを馳せてしまうやつ。

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残念ながら、何か大きな流れが変わる段階ではどうしても誰かが犠牲にならないといけないのだろうというタイミングがあり、そこに陥ってしまったのが大友皇子だった気がします。大義名分など風の前の塵に同じよ…

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(もうひとりだけ)

1.大友皇子(伊賀皇子・弘文天皇)
2.なんか扱いがよくないな…と思い始めたのが最初だったような
3.太政大臣or淡海朝皇太子or大友帝
4.本人は悪くない
5.天智天皇・高市皇子・物部麻呂
6.『懐風藻』はおれたちの味方だ
7.毎年壬申の乱だよ

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そんでこの時期私が一番報われてほしいのは大友皇子だあああああああ!!!ああもう一ヶ月もねえ!!!!!

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高市皇子が全面に出てくることもあって、大友皇子と高市皇子の第二世代の戦いという構図も無きにしも非ずだと思うのですよね壬申の乱は…
(というのは個人的な思い入れでもありますが)

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落書きだけで終わらせる予定でしたが描きました。物部麻呂と朴井雄君。
元は同じ氏族でありながら壬申の乱では麻呂は大友皇子側、雄君は大海人皇子側についたので対立しました。

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物部麻呂、後の石上麻呂は壬申の乱で大友皇子の最期まで付き従っていたことで思い入れの深い人物です。どういう立場でそこに居たのかわからないので色々憶測されてますが…
平城遷都の際は藤原旧京の留守官だったこともあって、奈良期にはもう前時代の人という感がある。

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【3・4月カレンダー解説】

🐟国栖魚に乗って🌊

能「国栖」(くず)より💫
漁師の老夫婦が帰ると、浄見原天皇(大海人皇子、後の天武天皇)が家で休んでいました。大友皇子の襲撃を受けここ吉野山中に逃げたと聞き、夫婦は天皇をもてなし食事をふるまいます。
天皇が片身を食べた

▶続

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天智天皇十年十二月三日、天皇崩。
同月五日、大友皇太子、即為帝位。【生年廿五。】(扶桑略記)
天智天皇十二月三日に失せ給ひにしかば、同五日大友皇子位を嗣ぎ給ひて(水鏡)

正史にはないけど一部の歴史書が言うには本日は大友皇子(第三十九代弘文天皇)即位デーでございます!!!

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夫をとるか?父をとるか?歴史に翻弄された十市皇女を紹介!なんだか最後ははかない雰囲気が
漂います…


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早良親王
大伴旅人
大友皇子
吉備真備

厳選して推した順。
(死後盛り返してる人多いな)

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そういえばこの漫画、結局続きはどうなったのかな。小角(中央)と不比等(後ろ)が同年代で2人ともすごい美少年で後鬼は美少女で、鸕野讃良がおしとやかな美女(!)で大海人皇子と大友皇子が彼女を巡って恋敵とか色々不思議な設定だった

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ここは貴重な大友皇子の言動がある記事なので大事。
少なすぎてどうしてこう言ってこの対応なの…みたいな感想になってしまうが仕方ない。
近江朝側が受け身っぽいのが全て物語っている。

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石上(物部)麻呂の忌日ですね。壬申の乱にも最後の最後大友皇子の最期の時に名前が出てきてその場面はデカすぎるでしょという。実際どういう立ち位置でその場に居たのか非常に気になります。
(新規絵描けなかったので再掲)

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おはようございます❀

本日2月27日は、
673年:大海人皇子が即位した日✍🏻

大海人皇子は、天智天皇(=中大兄皇子)の弟。天智天皇が亡くなった後、天智天皇の息子の大友皇子と覇権を争った「壬申の乱」で勝利。天武天皇になりました。

↓推しなのでもう少し解説続きます☺💜

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初の太政大臣爆誕。
後々爆増えしちゃってイメージ変わっちゃうけど、この段階では天智天皇による大友皇子のためだけの官職だと思っているよ!
そして次の太政大臣は高市だよ!

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大友皇子の子(母は十市皇女)、葛野王が卒去。
享年三十七歳は若いですね。
本人も血統としては申し分ないレベルの人物ですが、高市皇子薨去後の皇位継承会議で親子間の継承を主張して軽皇子立太子を推し、もの申そうとした弓削皇子を一喝したという場面が有名です。

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79年:ヴェスヴィオ火山噴火。ポンペイ埋没
410年:西ゴート族がローマを陥落、掠奪を行う(ローマ掠奪)
672年:大友皇子(弘文天皇)が自決。壬申の乱終結
1572年:サン・バルテルミの虐殺
1904年:遼陽会戦始まる(日露戦争)
1927年:美保関事件
1936年:中国成都で邦人が襲撃され死傷(成都事件)

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