うどん藩初代藩主ヨリシゲマツダイラ

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越中・富山の薬売り

その始まりは江戸時代、江戸城内で腹痛を起こした大名に、富山藩主が持っていた丸薬を飲ませたところ、たちどころに治ったことがキッカケだとか。
https://t.co/zhgs2UsPLT

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大雪の中、道を急ぐお嬢さん。黒御高祖頭巾に蛇の目傘、雨雪用の高下駄。雪華模様のコートがポップで目を惹きます。古河藩主・土井利位(どい としつら)が天保3年(1832)に著した「雪華図説」を発端に、庶民の間で流行しました。
歌川国貞 『百人一首絵抄 十五 光孝天皇』ヨリ

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瑞花は雪の花、瑞福はお酒🍶
そして瑞公といえば…
尾張徳川家二代藩主徳川光友公なんだケロ!!

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ゆるくゆるきゃら紹介してく
ゆるきゃら辞典

滋賀県 ひこにゃん
元祖ゆるきゃら
江戸時代に同地にあった彦根藩の2代目藩主・井伊直孝に縁(ゆかり)ある1匹の白猫をモデルとしている。



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⭐️初描き⭐️
初代八戸藩主・南部直房公

いわてマガジン7号で八戸藩誕生話を少し描きます🙌
直房公、初描き初登場で調べながら描きました。

末っ子(利直公の7男3女の7男)っぽさと戦国期を知らない平和っぽさと見た目を父親似にさせる事にしたよ😊

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2020年は感染症の流行で、いろんなものが制限されました。

が、私は細々描いていた盛岡藩主(推し殿・南部利視公)の漫画が紙面掲載でき、原敬きっかけで多くの明治ファンと繋がれ実り多い1年でした😊

まだまだ勉強中ですので教えて下さいませ☺️
本年もありがとうございました。
(また呟くけどね⭐︎)

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③細川忠利(光千代)
忠興様の三男。とんでもなく優秀な肥後細川初代藩主。能力と人望を兼ね備えた幕サーの姫。雰囲気は穏やかだけど公正な藩政のためには容赦しない苛烈さを持つ。甘党で偏食で虚弱気味。そのせいか過干渉な父上にたまに辟易してる。

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ニコ生視聴者の皆様へ
今年も大変お世話になりました。途中お休みすることがありましたが、一年頑張ることができました。
年内の放送はまだありますが、お先にご挨拶をば。来年も皆さんと一緒に楽しめる放送を、私なりのペースでやっていきます。よいお年を!
葵藩Live 藩主 あおいジョー

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大好きな盛岡藩主と幕末&明治イラスト描けた1年でした☺️
(1,南部利視公 2,星恂太郎 3,桂小五郎 4,坂本龍馬)

特に推し殿・8代藩主南部利視(としみ)公の漫画が、いわてマガジンにて紙面デビューできたのが今年のハッピーな出来事です🥰

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今日は14代盛岡藩主・南部利義(としとも)公が結婚した日。

お相手は彦根藩主の養女なのですが実家は同じ南部家。
12代目盛岡藩主・利用(としもち)公の娘という、経緯に興味がある結婚です。

私としては「あ、利用公結婚して子供もいたんだ」ということにビックリ(19歳で就任、23歳で死去)

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幕末を振り返る画像。
『堀田正睦』
プロフィールは→https://t.co/bFAiTuDQOw



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正岡子規は河東碧梧桐を「冷ややかなること水の如く」と評した。
陸奥宗光は「カミソリ大臣」と呼ばれていた。

…ので!

私の中では、冷静というか切れ味がありそうな人は前髪立つイメージなのかな、と😅

切れ味でお馴染みの、我が盛岡藩主13代目利済(としただ)公も前髪立ってるしね(笑)

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縞野島次(しまの しまつぐ)。(1568~1644)
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。
辺根瀬国(べねっせこく)茶蓮寺藩(ちゃれんじはん)初代藩主。通称は「しまじろう」。
1568年、大名縞野島太郎の長男として辺根瀬国に生まれる。後、藩祖として茶蓮寺藩数百年の基礎を築く。

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🎂14代目盛岡藩主・南部利義(としとも)公お誕生日おめでとう(旧暦)🎂

砲術に長けていたそう。
その人物像は、水戸烈公と呼ばれる徳川斉昭公から将来を有望視される程。
しかし、実父(先代13代目)との不仲により1年で隠居。
まだ27歳…

 ←めっちゃ可愛いタグ😍

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村田蔵六(大村益次郎)が江戸に来た時に
彼が仕えていた伊予宇和島の藩主伊達宗城(伊達遠江守)の上屋敷は麻布にありました。
現在の国立新美術館辺りです。
江戸の中心部からは少々外れてますかね?

近所(画像左端下)に村田の故郷の長州の麻布藩邸こと
松平大膳大夫の下屋敷があります。

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側衆、今日の
尾張のカリスマ藩主兼ファッションリーダー、宗春様🥳

自称吉宗サマのライバルでズッ友✨

真逆の性格、真逆のセンスなのに
何故一緒にいるのかはわかりません!

意外と気は合うのでしょうか!?吉宗様も宗春様のことをよく気にかけてらっしゃいます🌈

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刻暦 12月1日(火) 鉄の記念日🔧
1857年に盛岡藩(現在の岩手)釜石市の製鉄所で洋式高炉による鉄の生産が始まったことから。名産である「南部鉄器」は、この盛岡藩の藩主であった南部氏の名からついているんだ!
さぁ師走、今年も残すは一ヶ月...近代化の象徴である鉄の恩恵を噛み締めつつ走り抜けよう!

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盛岡藩主の結婚フィーバー月で+もう1枚あったの

原敬に興味が湧いた月でもあったのです
(いや、もともとチラチラ覗き見していたけど、踏み込んでみたいと強く思ったの)

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江戸時代、「富士登山は庶民がするもの」で、「身分の高い」人物にはふさわしくないと考えられていた。そんななか、富士山へ登ることに憧れを抱いていた大名がいた。丹後国(京都)宮津藩藩主の本庄(松平)宗秀である。ようやく許可を得るも、許されたのは中腹までの登山だった。

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