なぐさみに近江朝父子とカエル

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そして最後にこれを上げておかねば…。
今年もお疲れ様でした。
(今年のメインは置始うさぎでした)

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壬申の乱と推しの忌日終わった途端に別の推しの忌日来るんだよねえというわけで大伴旅人の忌日でございます!!!7月忙しいね!!!(気持ちが)
晩年らしい旅人を昨夜大急ぎで描きました。

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さんの最新刊『#恋ふらむ鳥は』。壬申の乱を舞台に、飛鳥の動乱を生き抜いた万葉の歌人、額田王の激動の半生を描いた傑作歴史長編です。

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本日の重要人物物部麻呂も過去絵で。
ここが初見の麻呂、後の左大臣石上麻呂ですが、この後の長い人生で多分何度もこの場面を想起したのではないだろうか。
(この時の麻呂の立ち位置は諸説あります)

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今年ちゃんとした大友忌日絵(8月も)描けないだろうかららくがき。
天智失くしてからの心情と重責いかばかりか。

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うさぎが大海人軍に居るからカエルは近江朝だろう

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更に文人の首と並び称されたもう一人が壬申の乱最後に出てくる物部麻呂の孫って出来すぎか~~~
二人とも渡唐してない遣唐使だったところも出来すぎか~~~

(というとこまでが三船忌日におけるサビ)

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七月(壬申の乱期間)の忌日の多いことよ…
というわけで大友皇子の曾孫に当たる淡海三船の忌日です。大友系譜三船まで全推し。
卒伝にはない情報が結構重要なんだけど、歴代天皇の漢風諡号の一括撰進をしたことで知られますね。

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持統天皇十年七月十日
後皇子尊薨。

後皇子尊こと高市皇子薨去。
大友についで壬申の乱でしんどい子。壬申の乱期間に忌日がきてよりしんみりしちゃう。

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七月十日は壬申の乱記述なしなのでらくがき置始うさぎ置いとくね
そんなに負けてるわけではないはずだが負けイメージつよい吹負

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高市は多分戦いの最前線にはほぼ出ておらず和蹔付近で軍の指揮を執ってたと思われますが…
この場面のこれ、大海人が言わせたのかな??みたいな印象で個人的には結構しんどい。
長子の皇子が「臣」って言ってるのがしんどい。

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ここは貴重な大友皇子の言動がある記事なので大事。
少なすぎてどうしてこう言ってこの対応なの…みたいな感想になってしまうが仕方ない。
近江朝側が受け身っぽいのが全て物語っている。

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構図は近江朝廷の大友皇子VS大海人皇子なんだけど高市自身へのこの戦争の影響もすごいと思う。
私の中ではこの二人の戦いでもあるんだよ。
(べ、別に推しCPだから言ってるんじゃないぜ…)

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朝は壬申の乱で時間切れだったので今上げますが、石上宅嗣の忌日でした。奈良期石上三代としても、文人の首としても、行ってないけど遣唐使としても、家持のお友達枠としても、多方面で色々面白い人物です。

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私自身はごりごりの近江朝贔屓なのでご容赦ください。
そういったお気持ちは随時表明しますが、流れは日本書紀に則っております。


(絵は再掲)

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というわけで吉野に下っていた大海人皇子が東国行きを決意しました。
壬申の乱はもう始まっているんだ…!というわけで今年も近江朝の父(故人)に代弁していただきます。

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今年は壬申の乱から1350年でもあります。こちらは元明天皇展のときに掲示した壬申の乱のイラスト。吉野盟約の翌年の誕生した元正天皇にとってもこの乱は大きな意味を持っていたのではないでしょうか。

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壬申の乱の功臣、大伴馬来田が薨去。
我が家の系図では旅人の正妻大伴郎女が馬来田の娘説だったりします。度々言うけど壬申の乱での活躍がはっきりとは書かれてない馬来田や御行の方が薨去の際手厚い印象で、ばんばん名前の出た吹負がさらっと書かれてるの気になるんですよね。

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