間近になってきたので2022年の足利思い出再掲
今回もコラボやってくれるみたいで嬉しい

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3人がそっけない態度とったのが「この前」だから前回からそんなに時間経ってない筈なんだけど、1349年にならないと知らない筈の単語である「御所巻」が出てきているカオスさなので、サブタイの年数はあくまで足利サイドの表記で若サイドの年数は不明とみるべきかなァ

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後世においては潔い死に様も含めて多くの人々の心を打ったが、当時の南朝政権からしたらこれから来る足利の内乱を前にした最強戦力の死はあまりに惜しかっただろう
人よ、花よ、と凄絶に散ってしまったその生き様は確かに眩いが、もし生きていたら……とも感じてしまうのだ

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英雄の血を引いた英雄であり、活動期間僅か7年の間に劇的な勝利を重ね、その強さは「不可思議」の域にあるとまで讃えられた
劇中では師直が中傷しているが、正行担当の細川顕氏や山名時氏は足利屈指の武闘派で、それに20歳そこそこで連戦連勝する正行は化物と言うほかない

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足利のおやつ!!!!!!!!!

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このタイミングで足利展示なの感慨深すぎる😂

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逃げ若武将名鑑【渋川頼子】
関東庇番渋川義季の姉で足利直義の正室。法名「本光院」
「頼子(らいし)」は江戸時代末期の『系図纂要』に見られる名
直義は正室以外に側室を持たない一途な将であり、中々子を成さなかったにも関わらずこの関係を続けたのは相当に珍しい

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韮山城(静岡県伊豆の国市)の縄張図
文明年間に足利政知家臣の外山豊前守が築城。その後伊勢宗瑞によって本拠地として本格的に改修された。

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政敵の後醍醐は兎も角、北朝初代天皇として担ぎ上げた足利からの扱いも蔑ろなのはなんなんですかね……
虜囚になってから出家して洞院公賢に「本心か!?」と訝しまれたが、どう考えても本心だろ……
解放後は面会を断ち「ごく普通の葬式をしてくれ」と遺言したのがもの悲しい

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逃げ若武将名鑑【光厳天皇/上皇】
元96代天皇で北朝初代天皇。地獄を二度も見た天皇(書名)
義父花園院の仁政を継ぎ、度々徳政を行った賢君だが、後醍醐院や足利政権のせいで度々地獄を見ることになる
最終的に歴代天皇からも除外された。こんな時代に誰がした……!

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足利コラボ初めての人もいると思うので思いつくまま思い出描きました😊町ごとコラボしてる感じは中々ないと思うので楽しんでほしい~

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貞宗は大徳王寺城の戦い後も高師冬の要請を受けて北畠親房が籠る大宝城攻略に参戦したり精力的に活躍
1345年には嫡子の政長に守護職や所領を譲りながらも政務に携わる半引退生活に
足利家の内乱である観応の擾乱が巻き起こるより前の1347年5月26日に京都で死去。享年56歳

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そんな状況で一貫して足利尊氏に従い信濃守護となった貞宗は紛れもなく一族中興の祖だったわけです
小笠原流礼法創始者としての功績は先の名鑑で書いたように、子孫が箔付けの為に盛っている部分がありますが盛るに足る偉大な祖という証左です
https://t.co/UxxVObuuNT

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明日はクリスマスイブですね!ということで?サンタネタ足利弟兄再放送させてください。(今年初めのwebイベントみらぞで出したらくがきです。)
https://t.co/pPiQZ4cxL2

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千早城の戦いは途中足利高氏の謀反で楠木正成の粘り勝ち
最期は不明瞭。六条河原で斬首された者の中に「公藤次郎右衛門尉・五十二歳」なる者がいるが、これは年代不明の記録で年齢も合わない
足利に投降して生存したとも言われるが投降者も多くは斬首されてるのでどうだろうか

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『太平記』では慎重派として描かれており、尊氏討伐に出兵を促されても「アイツも悪いヤツじゃないんだよ……父上弔ってくれたし……」と渋っている。それが「?」ではなく「≠」な由来かもしれない
とは言えアンチ足利として戦い続けるが最期がいまいち不明瞭だったりする

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12/2は 足利市の神社で「美人弁天」様を建立された日らしいです。この美人は心の美しさを表すみたいなのですが、大洗一の美女のねこにゃーさんを(⁠*⁠´⁠ω⁠`⁠*⁠)

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この話は『諏訪大明神絵詞』のもので、頼継が神意によって守護られたとか、足利との仲は良好とかの記述も合わせて後年に継ぎ足された創作っぽい
『絵詞』の作者の諏訪(小坂)円忠は足利方の諏訪氏で、諏訪信仰の普及と足利との結びつきをアピールするため捏造した気配がある
 

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