「なまみ」ではなく「しょうじん」と読み、元々は人としての肉体や仏像の対義語としてお釈迦様自身の体を指していました。
それが後に仏陀や菩薩が,惑い苦しむ人々を救う為、現実世界に現れた際の様々な形(化現:けげん)の事を言うようになりました。


2 8

現在は高座と言えば落語寄席の舞台の事を言いますが、元々は僧が説教をするための高い座席の事でした。
インドから中国に伝来。
唐の時代から民間芸能の隆盛とともに元の意味以外にも使われるようになり、それが日本にも伝播したと言われています。

1 6

「愛嬌がある」のように用いられ、好感が持てる様を表す言葉ですが、本来は「愛敬(あいぎょう)と書き、愛しみ敬うという意味の言葉でした
人々が愛しみ敬わずにはいられない仏や菩薩の優しく温和な様子を「愛敬相」といい、ここから「愛敬」と「愛想」という二つの言葉が生まれました

2 9

サンスクリット語で書かれた密教のお経に「ウンタラタ、カンマン」というフレーズがあり、そのお経に馴染みのない人がこの部分しか聞き取れなかったことから、うろ覚えを表す言葉として定着したそうです。

0 7

鎌倉時代に宋から来日した僧、兀庵(ごったん)は当時としては先鋭的な思想を持ち、難解な講釈を行ったことから、周囲から理解されず、面倒でややこしい状況を「ごったんごったん」と言うようになり、それが「ごたごた」になったそうです。

2 5

自己犠牲は自己への執着を捨てた究極の布施行と捉えられる一方、何かを成す為、何かを守る為の自己犠牲は、その何かに執着しているが故に欲の一種と捉える事もできます。

2 9

蔑むという意味の卑下と、思い上がるという意味の「慢」で、自分はダメだと落ち込む事を思い上がる事を指します

他にも「自分なんてまだまだです」と謙遜する事ってありますよね
自分が出来ない事をそう言われてしまうと嫌な気持ちになってしまいます
謙遜も嫌味にならないよう程々に

1 7

いつも思うのですが
男は女性よりも
性欲に弱い気がします

女性が裸の男に
翻弄される
イメージはありません

性欲に振り回されない分だけ
悟りにいたるまでの
誘惑が少ないので
男より女性の方が悟りやすいと
思うのですが

皆様はどのように考えますか?
女性は物欲に弱いのかな?

11 87

終わらないクロケーに疲れたアリスでしたが、どうする事も出来ません
そこに突然チシャ猫が現れ試合は滅茶苦茶に。
怒った女王は叫びます「首をはねておしまい!」
しかしチシャ猫は素早く姿を消してしまいました

生死を繰り返す終わらない輪廻の輪から脱する事を「解脱」と言います

1 10

元々は修行僧が食事を行う寺院内の堂を「じきどう」と呼んでいました。
それが明治に高等学校や大学の寮にある食事場を「しょくどう」と呼ぶようになり、
その後、個人宅やお店に波及し、関東大震災以後の東京で安価な店の急激な増加に合わせて、これを大衆食堂と呼んだそうです。

18 40