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さっきから画像を漁ってて惹かれた水の表現。
モネの睡蓮は、水を描いていたんだねぇ…(無知すぎ)
クロード・モネ「睡蓮」1904年
ギュスターヴ・カイユボット「イエール、雨の効果」1875年
カール・モル「夕暮れ」1900年
チャールズ・ウォーレン・イートン「ブルージュの運河の月光」1886年頃
カイユボットがH夫人ことアンヌ・マリーを最後に描いたのはおそらく1884年の肖像画(1枚目)ですが、1888年頃に描かれたとされるモデル不明のこの作品(2枚目/3枚目はc.1888〜1889)も、こうしてみるとアンヌ・マリーっぽい気もするけど…。
別れても友人関係を続けたのか、二股をかけていたのか?
フランス画家で収集家でもあったギュスターヴ・カイユボットは、印象派画家たちを支え、印象派展の開催に大きく貢献した人物として知られています
彼がいなければこれらの名画がパリに揃うことはなかったかと思うと…!!
カイユボットのゆかりの地6選 https://t.co/vRfwpp7Bwm
#カイユボットの日記
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1876年4月X日
今回の第二回グループ展に出した作品を記しておこうと思う。
17:Raboteurs de parquets 床の鉋掛け 1876
これは先日サロンに落選したものとは別のものだ。あちらは3人に対してこちらは年若い青年と壮年の2人。壁と床のラインでパースを強調してみたんだ。
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#カイユボットの日記
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187X年X月X日
サロンに鉋掛けの様子を描いた作品を出してみようかと思う。今、上から見下ろした構図で構想を練っている。いい絵になりそうな気がする。サロンに初応募の割には自信作!
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No.041 カードゲーム(c1876)
ドガに触発されて1877年に多くのパステル画を描きます。全てイエールでのひとコマです。
カイユボットが所有していたドガの8作品は全てパステル画でした。
No.071 イエール、庭のゾエ=カイユボット(1877)
No.072 麦わら帽の若い男(c1877)
No.076 イエール、菜園の壁(1877)
ゾラの美術論集(サロンにおける自然主義 1880)から
「最後にカイユボット氏だが、彼は丹念な仕事をする画家である。表現技法は少々生硬だが勇敢にも努力を重ねており、ことに男性的な強い決断力で探究を続けている。」
1880年は第五回印象派展が開催された年です。
三者三様の菊
1枚目:カイユボット(メトロポリタン美術館)
2枚目:モネ(個人蔵 リンク先はクリスティーズ)
3枚目:モネ(個人蔵)
4枚目:ルノワール(メトロポリタン美術館)
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ニッティスは1878年の万国博覧会で金賞を受賞し、同年にレジオン・ドヌールも受勲しています。
1878年といえば第四回印象派展をよく年に控え、カイユボットはこんな作品を描いていました。
そしてすごいな!!!4作品はドレル家縛りかよ!!
ドレル氏はカイユボット家の使用人でカミーユはその息子です。
こんなに絵を描いてもらっていたなんて信頼が厚く、中も良かったんでしょうね。
古代ギリシャや古代ローマの英雄を裸体で描くことはありますが、ごく一般の男性を、しかも後ろ姿だけ描いた作品は珍しいですよね。確かに筋肉表現は画家の腕の見せ所ですが。。カイユボットは男性の姿を多く描いていたので同性愛者だったのではないか?というフォロワーさんの感想もありました。 https://t.co/vNcMdnWQOB