1875年2月22日・命日
◆ジャン・バティスト・コロー≪満78歳没≫◆
[1796年7月16日〜]
19世紀のフランス美術界の中で最も優れた風景画家のひとり。銀灰色を帯びた鈍色に輝く抑制的な色彩・色調を用いて独自の風景様式を確立しました。写実主義・バルビゾン派

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随分前の不思議な体験

バルビゾン派の展覧会で私は絵の中の空間に包まれ不思議な高揚感に襲われた
それから私は何処にいてもバルビゾンの空気を吸い光に包まれ、何をしてもストレスはゼロ、食事も睡眠も少しで元気

3か月弱程それは続いた

またそんな体験したいんだけどどうすれば・・?🤩

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お茶と名画
コロー
青い服の婦人
1874年
ルーブル美術館蔵
ミレーとならぶ
バルビゾン派の巨匠コロー
19世紀を代表する風景画の
巨匠です
人物画も沢山描いています
物思いに耽っている姿
詩的な雰囲気の画面です
左側は巴里郊外のモルトフォンテーン
銀灰色の世界がバレーの舞台のよう
どちらも素敵👩‍🎨

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「印象派★光の系譜」展@ハルカス美術館
1.水の風景と反映
2.自然と人のいる風景
3.都市の情景
4.人物と静物 の章立て19世紀半ばバルビゾン派からの外光表現、ベルリン分離派のレッサー・ユリィの三点(撮影可2点)は水面の陽光・路面に街灯と窓の光に人物と自動車と反射した像に引きつけられました。

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ミレー「接ぎ木をする人」:バルビゾン派の画家たち
1855年のサロンは、同年に開催された万国博に吸収される形で行われた。そこにミレーは、三点の作品を出展し、うち「接ぎ木をする人(Le greffeur)」が入選した。この作品は、評価は高かったが売れなかった。当時のミレーは
https://t.co/sAzbZEVZ3j

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コロー「真珠の女」:バルビゾン派の画家たち
1860年代の後半以降、コローはリューマチを患うようになって、屋外での写生が困難となり、アトリエで人物画を手がけることが多くなった。「真珠の女(Femme à la perle)」と呼ばれるこの作品は、コローの人物画の代表作である。
https://t.co/QJJIpomX1Z

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コロー「モルトフォンテーヌの思い出」:バルビゾン派の画家たち
コローは、1850年代を通じて、コロー色と言われる銀灰色を背景に使った叙情的な風景画を描き続けたが、1864年の作品「モルトフォンテーヌの思い出(Souvenir de Mortefontaine)」はその集大作というべきもの。
https://t.co/EbYOoZPBqy

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コロー「朝、ニンフの踊り」:バルビゾン派の画家たち
1851年のサロンに、コローは「バッカス祭」と題した作品を発表。これは後に「朝、ニンフの踊り(Une matinée : la danse des nymphes)」と改題され、国家に買い上げされた。そのことがきっかけで、コローは大画家とし
https://t.co/AUOWO6PKrh

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ドービニの素敵な風景画もぜひ。
この絵達と比べて、点描みたいな絵は印象派っぽいよね。モネと出会った頃の作品なので影響を受けていそう。色調と明度はバルビゾン派っぽいけど。

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三菱一号館美術館で「コンスタブル展」。1歳年長のターナーと鎬を削り、後のロマン主義やバルビゾン派にも影響を与えた画家の風景画を中心に、生活の糧とした名士たちの肖像画等も。「ウォータールー橋の開通」とターナー「ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号」の邂逅がハイライト。

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ベランダに小さな花壇を造った。
頭の中が整理されていく充実した時間だった。
バルビゾン派と呼ばれる画家たちは、
ただ田舎暮らしを楽しみたい人たちではない。
都会の下らない権威や醜い争いから離れることで
客観的に俯瞰して見直した。
人間本来の生き方を探求し
価値返還を起こそうとした賢者。

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五感(知覚)を使って
自然と対峙することでしか気づかないことがある。
バルビゾン派と呼ばれる画家たちは、
都会から田舎へはじき出されたのではない。
自ら都会の下らない権威や醜い争いから離れ、
人間本来の生き方を正しく見直そうとした。

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【ウィンスロー・ホーマー】

アメリカの画家です。南北戦争に従軍し、戦争画を描く。

戦争後は、フランスに渡り、バルビゾン派の影響を受ける。

人間よりも風景のほうがええわ!!

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紀伊水道の夕暮れ。バルビゾン派の雰囲気をちょっと意識♪

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バルビゾン派のバルビゾンって地名だったのか
この地域に住んだり訪れた画家がここで描いた風景画や農民画か

ミレーもコローもそうだね

ミレー 落穂拾い

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本日7月17日は『ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(1796-1875)』の生誕224年の誕生日です♪ 🇫🇷パリで生まれました。バルビゾン派の画家。
⭐作品紹介サイト:https://t.co/Ky9Pd2q3WY
左:自画像、右:「モルトフォンテーヌの思い出」ルーヴル美術館

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今回は主に山梨県立美術館の萩尾望都SF原画展を見に行きました…。確か東京でも同じの見たけど、神の絵は何度見ても飽きない。常設のミレーも久々に見た。ミレーとかバルビゾン派好きなのであそこはとても居心地が良い。

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カミーユピサロです。1863年にマネの落選展に参加し、1874年からの印象派展は8回全てに参加。作風は初期のバルビゾン派コロー・ミレー風から、モネ達と出会い印象派に、そしてスーラの点描画に傾倒、その後都市の風景を印象派風写実画にと変遷。明治大正期の日本人洋画家同様の苦闘をした人です。

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今日は山梨県立美術館でミレーの絵を見てきました

バルビゾン派は暗い色を使うことが多くて、つい農民は苦しかったのかなと思ってしまうけど、ミレーが描きたかったのは力強くて美しい人だったんだと実物を見て初めてわかりました

ミレーが少しだけ使う明るい色が眩しくて、うるっときてしまった

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