⛩️土師氏(はじうじ、はじし)
「土師」を氏の名とする氏族。
天穂日命の後裔と伝わる野見宿禰が殉死者の代用品、埴輪を提案し第11代・垂仁天皇から「土師職(はじつかさ)」と土師臣姓を賜った。古墳時代には古墳造営や葬送儀礼、殯など人の死に関った。

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⛩️ 野見宿禰(のみのすくね)
相撲の神様。アマテラスの次男アメノホヒの14世の孫。
第11代・垂仁天皇に仕えた。天皇の皇后が亡くなった際に家来を生埋めにする殉死を辞め、人や馬の形を模した埴輪を使うことを提案した。天皇は野見宿禰を称えて土師職(はじのつかさ)に任じた。

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その時代には長すぎた命

老いていくのになかなか死なないことに不安を感じていたとしたら、という話。
垂仁天皇の享年は140~153である。

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田道間守の隣でお菓子食べててほしいからそろそろ垂仁天皇も考えるかな。
みかんフレーバーの何かしらをもぐもぐしててほしい。
田道間守のデザインはガッツリみかん。

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一月一日は
神武天皇即位!
応神天皇即位!
顕宗天皇即位!
持統天皇即位!

更に
神武天皇誕生日!
垂仁天皇誕生日!
聖徳太子誕生日!
桜町天皇誕生日!
そして
大化改新の詔を発布!

やるんなら(どうせなら)そら元日ですわあという意気込みを感じる。

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駆け込みで元日のビッグネーム即位&BD
神武天皇即位!
応神天皇即位!
顕宗天皇即位!
持統天皇即位!

更に
神武天皇誕生日!
垂仁天皇誕生日!
聖徳太子誕生日!
桜町天皇誕生日!
などなど

代表で今年も神武天皇(再掲)置いておきます。

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両道入姫命(ふたじいりひめのみこと)
第11代天皇・垂仁天皇の皇女。
母は山背国の大国不遅(おおくにふち)の娘の綺戸辺(かにはたとべ)。
景行天皇の皇子・日本武尊の妃で、仲哀天皇の母。目立った事績はありませんが、系譜的にとても重要な方ですね。

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三足比咩命(みたらしひめのみこと)
第11代垂仁天皇の皇子・磐衝別命の妃。石川県にある羽咋神社に皇子のお妃様としてその名が伝わっています。なぜ3匹のワンコを抱っこしているのかと言うと…
羽咋神社の伝承では、磐衝別命が勅命により羽咋の地に派遣され、怪鳥🦅退治をしたとされています。
👉続く

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袁那弁王(おざべのみこ)
第11代天皇・垂仁天皇の皇子。母は大筒木垂根王(おおつつきたるねのみこ)の女の迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)。
古事記にしか登場せず、事績や子孫の記述はありません。
大筒木垂根王の父は第9代天皇・開化天皇の皇子の彦湯産隅命(ひこゆむすみのみこと)です。

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胆香足姫命(いかたらしひめのみこと)&稚浅津姫命(わかあさつひめのみこと)
両者とも垂仁天皇の皇女ですが、母親が違います。

胆香足姫命の母は渟葉田瓊入媛。
稚浅津姫命の母は薊瓊入媛。
お母さんは姉妹同士ですので、2人は従姉妹でもあります🤗
 

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鐸石別命(ぬてしわけのみこと)&息速別命(いけはやわけのみこと)
両者とも垂仁天皇の皇子ですが、母親が違います。
鐸石別命の母は妃の渟葉田瓊入媛。
息速別命の母は同じく妃の薊瓊入媛。異母兄弟ですね。
しかし、それぞれの母親が姉妹同士なので、従兄弟でもありますね😙
皇子達の母上も再掲😚

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稚城瓊入彦命(わかきにいりひこのみこと)
第11代天皇・垂仁天皇の皇子。母は皇后の日葉酢媛命。
天皇と皇后の間には三男二女が生まれていて、稚城瓊入彦命は末っ子になるので可愛らしい感じにしてみました😊

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倭彦命
第10代天皇・崇神天皇の皇子。
母は大彦の女・御間城姫。同母兄に垂仁天皇がいる。記紀共に事績は無い。
日本書紀によると、垂仁天皇28年(BC2年)に「身狭桃花鳥坂(むさのつきさか)」に葬られる。
この時、近習の者を集めて全員を生きたまま陵の巡りに埋め立てた😇続く
 

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綺戸辺(かにはたとべ)妹
苅幡戸辺(かりはたとべ)姉
2人とも山背大国不遅の女です。
 
垂仁天皇34年(5年)の事です。天皇は山城においでになった時に側近から綺戸辺という美人がいると聞きます。そこで天皇は矛を取って祈をします。「美人に会ったら必ず道路にめでたい験👉続く

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竹野媛(日本書紀のみ)
歌凝比売命(古事記のみ)
2人とも父は丹波道主命。
第11代天皇・垂仁天皇の皇后・日葉酢媛の妹。
前の皇后・狭穂姫命の遺志により、丹波から姉と共に後宮に迎えられる…はずでしたが…🥲
器量が悪いという理由で故郷の国に送り返されてしまいます😨

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弟比売命(おとひめのみこと)
第11代天皇・垂仁天皇の妃。
古事記にしか登場しない。また、子孫の記載も無い。
父は丹波道主命で丹波之河上之摩須郎女。日葉酢媛の妹として登場し、天皇に後宮に迎え入れられる。

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真砥野媛(まとのびめ)
第11代天皇・垂仁天皇の妃。日葉酢媛らの妹。
前の皇后・狭穂姫命の遺志により、垂仁天皇15年(BC15年)に、丹波から姉と共に後宮に迎えられる。
日本書紀には子どもの記載無し。
先代旧事本紀では、子に磐衝別命(いわつくわけのみこと)祖別命(おおじわけのみこと)👉続く

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薊瓊入媛(あざみにいりひめ)
第11代天皇・垂仁天皇の妃。日葉酢媛や渟葉田瓊入媛の妹。
前の皇后・狭穂姫命の遺志により、垂仁天皇15年(BC15年)に、丹波から姉と共に後宮に迎えられる。
古事記・日本書紀共に登場。
子に池速別命(いこはやわけのみこと)、稚浅津媛命(わかあさつひめのみこと)

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渟葉田瓊入媛(ぬばたにいりひめ)
第11代天皇・垂仁天皇の妃。日葉酢媛の妹。
前の皇后・狭穂姫命の遺志により、垂仁天皇15年(BC15年)に、丹波から姉と共に後宮に迎えられる。
古事記・日本書紀共に登場。
子に和気氏の祖である鐸石別命(ぬてしわけのみこと)胆香足姫命(いかたらしひめのみこと)

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倭姫 この御方は垂仁天皇の皇女。
天照大御神の御鏡を今の伊勢神宮に鎮め参らせたお方なのです。そもそも三種の神器の御鏡は、同床共殿と言って
宮中に天皇と共にあるのが本来の在り方ですが、現実はなかなかソウハ行かない。倭姫は天皇の勅命により御鏡にふさわしいお鎮まりの地を求めたのです。

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