これらは遂に天目山で最期を迎えた勝頼を描いた浮世絵ですが、作品が描かれた時代による表現の違いに留意して御覧下さい。
1枚目:月岡芳年「勝頼於天目山遂討死図」慶応元年(1865)
2枚目:歌川芳宗(二代目)「撰雪六六談/天目山・武田勝頼」明治26年(1893)

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700年:記録に残る日本初の火葬、実施
1582年:天目山の戦い。武田勝頼自害(武田家滅亡)
1790年:長谷川平蔵の建議により、江戸に人足寄場を設置(罪人の厚生施設)
1865年:南軍の首都リッチモンドが陥落(南北戦争)
1899年:佐倉丸に乗った日本人がペルーに上陸(ペルー日本友好の日)

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天目山の戦いと、奉天会戦が終わった日だな…

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『それでは…後典厩が話題を思い付くまで、武田信玄杯隠れん坊選手権を開催する!』
山県昌景「勝ったな」
武田勝頼「何の、雪降る天目山田野でスノーカモ着用!」
山本勘助「実態隠す事なら誰にも負けませんよ」

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17. 武田勝頼
①1546年~1582年3月11日
(天文15~天正10(37歳))
②甲斐国(山梨県)
③諏訪勝頼、伊奈勝頼
④高遠城、躑躅ヶ崎館、新府城

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11月22日いい夫婦…(すぐ天目山のこと考える)

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息抜きに描いたかつよりくん 天目山な感じ

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勝頼さまが最期に目指した地
天目山栖雲寺「宝物風入れ展」行ってきましたレポ

①栖雲寺さんへ〜駅・景色・囲炉裏カフェ・禅庭〜
②宝物〜信玄公軍配〜
③宝物〜軍旗・陣中鏡〜
④和尚さんのお話

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Q信玄亡き後武田はどうなったん?

A.信玄が息子勝頼が後を継ぎます
しかし父からの代の重圧に耐えきれずプレッシャーとなり「長篠の戦い」では大敗北。その後織田、徳川、北条の厚に耐えきれず逃亡。天目山(山梨県大月市にある山)にて家臣共々自害し武田は滅びました。

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