【Tips】尊氏の背中
『太平記』によると尊氏の死因は背中に出来た腫れ物(癰)だと言う
室町幕府4代将軍義持の死因も尻にできた腫れ物を掻きむしったことでの炎症とされ、当時では死に繋がる病の一つであった
創作においては直冬によってつけられた矢傷等の解釈もされる

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大河ドラマ『太平記』においては直義毒殺説を取り最終回のハイライトとなります
この最終回、第1話からのロングパス伏線とか、真田広之の慟哭の名演とか凄まじい傑作回です
そして、大河においても尊氏をここまで突き動かした存在として「神」の存在が示唆されていますが……

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基氏が京都で生まれた頃には、実兄義詮は鎌倉に赴任しており、義詮が上京する際に入れ替わりで基氏が鎌倉入りを果たしため、兄とはあまり面識がなかったとされます
そのため『難太平記』では京都の兄との関係調整に苦労して心労となったのが死因と考察されています

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『太平記』の義詮評は「人の意見に流されやすい」でイマイチ頼りない2代目という印象
ただ、これは義詮の立場を考えると仕方ない部分があり、鎌倉府時代は斯波や上杉と言った執事、直義失脚後に京都に上ってからは師直、師直死亡後は直義……と補佐役が次々変わっている

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なお大河『太平記』では尊氏に魅了されており、裏切ることを危惧した桃井によって暗殺されたという解釈を取っています
同時代の史料では「利泰」と「利康」で表記揺れがありますが、同一人物と思われ、奉行や評定衆として活躍しています

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南北朝時代を楽しむ会「太平記ワークショップ」のチラシ用に3月に描かせていただいた北条時行・諏訪頼継のイラストです。

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「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」
第25話 「灰の雨降る日本橋」

今回陶朱公という言葉が出てきたが、中国春秋時代の范 蠡の別名ではないか。
『太平記』で忠臣児島高徳が
「天勾践を空しゅうする莫れ 時に范蠡無きにしも非ず」
という句を贈ったという話はあまりにも有名…

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『太平記』に「如意丸は直義によって殺された護良親王の生まれ変わりである」と書いた人はちゃんと地獄に落ちたでしょうか
跡目争いの火種にしかならない子供と解釈したことで生まれた陰謀論でしょうが、赤子を不吉の象徴扱いするとかどういう了見だよ……

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出自の怪しさはともかく、あの師直からも溺愛され、アンチ高一族の『太平記』においての評価も高い
なんせ出家してでも命に縋る師直らを「血気の勇将」と非難した項において「まだ若年だから出家すれば助けてやろう」の助命を断り潔く死を迎えたことを嘆かれるくらいですから

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母である「前関白の妹」は二条道平の娘と見られており、そんな出自の彼女を略奪した悪行が正に婆娑羅な師直らしさ
ただし出自に関しては師直を悪し様に描くことで定評にある『太平記』準拠のため鵜呑みにはできない
道平は太政大臣ではないから結局誰の妹だ?ってなるし

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『太平記』での暗殺の流れは、出家していた師直に対して三浦の部下が「そこの遁世者、笠を取れ」と言って笠を斬り落とし、その顔を確認した八郎が「願っていた敵だ」と言って斬りつけたとされます
このことから高一族に恨みを持つ人物とも思われますが、史料不足で一切不明

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室町幕府二代目執事の肩書が意味することは、直義が高一族を起用していたということです
高一族と対立しているイメージの強い直義からすると意外ですが、師泰の妻は直義の母の妹のためその縁故かもしれません
『太平記』では師泰を後任にする構想もあったと記述されています

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分断された高一族は上杉能憲や三浦八郎らにより暗殺
『太平記』は師直らを「血気の勇者」と称しており、その意味は「強さを誇示するが、いざ自分が負けると出家してでも命にすがる」で仁義の勇者と比較して批判している
逃げ若では勝ちを諦めぬ猛者でロスタイム突入ですが……

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この時、尊氏も師直らを「降参人のハゲと一緒に帰って噂されると恥ずかしいし」と邪険に扱ったともされますが、少なくとも『太平記』では上杉憲顕らの手で横入りが起きてる
その後、尊氏が師直暗殺にキレ散らかしてるの見るに、尊氏は関与しておらず直義の独断と考えられる

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bngkパンフ読んだんですけど舞台のnok、絶対南…太平記から転生してる

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『太平記』がたまにやる聖杯戦争展開で、怨霊楠木正成が南朝ドリームチームと平忠正・源義経・平教経の軍勢で戦う話を書いた前科がある
連合軍の内訳は神陣営が金剛蔵王権現と小守明神・勝手明神の夫婦神、聖徳太子陣営が太子とその配下小野妹子・蘇我馬子・跡見赤梼・秦河勝

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【Tips】戦神と歴史の偉人の連合軍
『太平記』「小清水合戦の事付瑞夢の事」に記された夢の話
打出浜の前日に師直の息子の師夏と配下の河津氏明が同時に見た予知夢
高一族が上杉軍を追い散らして進軍すると金剛蔵王権現と聖徳太子軍団が待ち受けていてボロ負けしたというもの

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実は諱すら不明の人物で一次史料『園太暦』でも「正行の弟」表記。正時は『太平記』の記述による
影が薄い理由は諏訪時継と同じで、兄の正行と死ぬまで行動を同じにしたため正行に活躍が一本化されたから
ただ人気の高い兄と並び四条畷神社の一柱として祭神に祀り上げられた

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……有名人の親族で、しかもしっかり戦功もあるはずなのに何故か影が薄いという諏訪の武神と似たようなポジションの人です
『太平記』での死に様は敵の手にはかからせまいと兄と共に刺し違えたものですが、これも楠木正成とその弟正季の死に様のコピペという……

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【Tips】師直の影武者
師直も手こずったという楠木兄弟との四条畷の戦い
『太平記』によると師直にはこの戦で上山六郎左衛門という影武者がいたという
ただし、逃げ若内での最初から影武者として使い捨てる気満々な酷薄な運用方法と違い『太平記』では美談として語られている

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