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本日、郡山市麓山の杜にて #紙芝居 による歴史講座『川俣の小手姫伝説』を開催。飛鳥時代の福島県川俣町に絹織を伝えたとされる小手姫。崇峻天皇の妃と同一視されています。崇峻が蘇我氏に暗殺されると、その子・蜂子皇子が出羽国へ逃亡。小手姫は我が子と再会すべく奥州にやって来たとか。#イラスト
上皇陛下が米寿に…
最高齢の記録は推古帝より数えられるらしい…
推古帝の先代、九思一言で知られる崇峻帝以前は記録にないらしく、長命保たれていたか不明だそうだ…
しかし、「上皇」とは「太上天皇」を略した呼称であり、オレは「上皇陛下」との認識を持っているが、間違ってはいないだろうか…
うちの子たちの立ち絵描きたい!と言って半年以上経ちました。前に崇峻天皇か天智天皇の全身絵UPして以来かな。
現在の状況。これはほんの一部。
推古天皇&竹田皇子親子、斉明天皇、孝徳天皇の順です。これらの他にも間人皇女や天武天皇などもいます。
正親町天皇『しかし、日ノ本の皇室は僥倖よな
幾ら威光が翳り、時には部下に反逆されても遠島配流で済む。
唐土の様に一家惨殺される事は無い』
二条晴良「殺害されたのは、崇峻帝と…安徳帝に淡路廃帝の御三方だけでしょうか
西晋の司馬鄴などを思うと、確かに平穏やも知れませぬな」
崇峻天皇を殺した東漢駒は崇峻天皇の女御を奪って自らの妻とした。その事に激怒した蘇我馬子によって東漢駒は殺された。その女御は馬子の娘だったのだ。