朝廷のモブもびっくりだよ
太妹っぽい

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『だんドーン』俺達のけーき公が流れるような責任放棄ムーヴしていて素晴らしいね。これ、家茂補佐&朝廷への牽制での上部だけの責任放棄だけど、後に将軍家が真正のカス札になると全力での責任放棄に移行します(慶喜が本当に一番わかりやすくていいと思ってる藩は長州ではなくその横の会津です)

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日本書紀に記述されているトコヨノカミ育成の試みは新興宗教を利用したものだったが教祖が討伐されて人々は信仰を止めた…と簡潔にしか記述されていない。実際のところは朝廷より遣わされた太古の祓魔師がトコヨノカミを祓魔し、残党勢力と熾烈な戦いを繰り広げている

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もう「北朝朝廷」の字面が面白すぎるからね。南朝の帝の崩御をそんなとこで大声で嘆き悲しんでんじゃねーよ!!

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藤原南家の嫡男、豊成の薨去。
弟の仲麻呂が朝廷によって滅ぼされたのが一年前、これによって復権し見届けて亡くなったかのようなタイミングですね。何度も言うけどこの兄弟の微妙な距離感が好きです。仲麻呂台頭以降政争が多かったので個人のやり取りが多く遺ってるのがありがたいんだよなあ。

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例えば雑訴決断所の「土地問題を審理と強制的な命令で解決する」のは正常な行政の在り方です
実際、高師直は執事施行状という「土地問題が起きたら武力で治める」暴のシステムを組み込み機能させた
ただ、朝廷には既にシステムを機能させるだけの武力も権威もなくなっていた
 

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おはようございます!本日11月9日は大政奉還が行われた日です。
倒幕運動に直面した江戸幕府の十五代将軍徳川慶喜は、1867年、朝廷への政権返上を決断しました。慶喜は自ら政権を返上することで、徳川家が諸侯の中心として続き国政の主導権を握ることを狙ったとされています。

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天下を朝廷に戻した後醍醐天皇が始めた建武の新政ですが、倒幕時に護良親王が令旨をバラ撒きすぎた反動が早速来る
後醍醐としては天皇の出す命令の綸旨を絶対としたいのに、護良が勝手に恩賞の約束をした令旨が邪魔になったのです
これが護良との軋轢の一つと言われている

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筑紫で起こった広嗣の乱では朝廷帰属の隼人が活躍してますね。
広嗣はもう少し粘ります。
再度玄昉と真備を取り除いてくれたら、という旨の話をしてますが、実際ここの二人を朝廷側で遠ざけたりしたとしたらどうなってたんだろう。
(実際にこの乱の数年後からその方向になっていくけど)

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その関東時代に記していたのが『神皇正統記』と『職原抄』
『神皇~』は神代からの歴代天皇の事績、そして南北朝動乱の記録を記した歴史書
『職原抄』は朝廷の官職・秩序をまとめたもの
ロクに史料もない関東で書いたのに詳細に記されており、親房の博覧強記ぶりが窺える

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思想も親子で似通っている…というより顕家が親房の影響を受け継いでる部分があり「北畠顕家上奏文」もいくつか父の代弁じゃないかとも言われています
一番言われているのが「無暗矢鱈に武士に官位を与えて朝廷の仕事をさせるな」という思想で立場としてはガチガチの保守派

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中先代の乱が起きてからは上京し、尊氏を刺激しないよう諫言
その間に伊勢を抑えて拠点とし、帝の補佐の為に吉野の朝廷と行き来
顕家死後は挽回のため勢力を分散。後に関東にも赴き基盤を固めようとするも失敗すると吉野に帰還…と最高指揮官となってから滅茶苦茶走り回る

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後醍醐帝としては「中継ぎの役割が消える」こと以上に「持明院統の一人勝ちになる」「両統迭立を続けると朝廷の弱体化が進む」現実も見据えた上での危機感でしょう
皇子を比叡山に送り寺社勢力を引き込み、倒幕の呪詛を行い、楠木正成ら悪党を味方にする入念な計画を立てる
 

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下中の朝廷ズが可愛くってiPadの壁紙にしてる♡

ザカザカ描いては消してった絵も発掘😇
スペースとリアタイで描いていくの面白かった♡ https://t.co/m8TNCPDRBT

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これにより早くから頼朝に近づいた同一族の足利に比べて官位が低くなる等、スタートからつまずきます
その後、岩松氏などに家が分割することでさらに弱体化
そして義貞の祖父政義が幕府に無断で朝廷に「官位ちょーだい!」と要求する特大の「?」案件をやらかす

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まあ朝廷の状況としては逃げ若と同じやもんなぁ。革命起こす側よ完全に。

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旅人の薨去から六年後、同日日付で亡くなったのが藤原四子で嫡男の右大臣藤原武智麻呂。ここまでですでに四兄弟のうちの房前・麻呂が亡くなっており朝廷の対応もヤバみを感じさせます。旅人享年67だったけど、武智麻呂は60歳手前だしねえ…

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(師妹被朝廷擄走,數月後...)

「朝廷不僅赦免了我的罪過,還傳我神功,賜與我金蓮衛士的職務!如今我的功力已經今非昔比,可遠遠不是那個破師門可以給我的!」

「真可笑,如今我蒙朝廷賞識,師哥不過是區區逃犯。乖乖束手就擒吧,不定我還能饒你一命...啊哈哈哈哈!」

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「師哥,我們還要走多遠啊?」

「等出了關吧,朝廷應該不會追這麼遠。」

「安心啦,師哥這麼厲害,朝廷追上了也不怕!」

(師妹被朝廷擄走,數月後...)

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宋代と明代の朝服。
宋朝と明朝では士大夫に対する待遇が変化した一方で、正装にも変化が見られた。
明代の梁冠と朝服のデザインは、冊封国の朝鮮と独自で華夷秩序を構築していた日本の朝廷の礼服に大きな影響を与えた。


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