//=time() ?>
武田信玄公は、どのような人柄だったのだろう?
『甲陽軍鑑』では、めったに笑う事が無かったと記されている。細やかな気配りの人であったとの記述もある📚
きっと、繊細で神経質な方だったのだろう😅
願文からは、子煩悩で情に厚い人柄も垣間見れる。
その実像に一歩でも近づきたい。好きなので☺️
【⑦春日虎綱】 #マン武24
『甲陽軍鑑』のもとになる本を作った人。かつては高坂弾正(昌信)という名前で有名だった人。しかし実際に本人がそう名乗ったことはないそうです。
また信玄との男色説も言われていますがそれも事実無根。いつの時代も大出世をするとあらぬ噂を立てられるので→
@nobutoyo_tenkyu 武田勝頼「甲陽軍鑑は戦艦ですか巡洋艦ですか」
山本菅助「言葉の響き的に駆逐艦」
春日虎綱「航空母艦かも知れんぞ」
長坂釣閑『超弩級戦艦に決まっておろう』
「「「お前のせいで沈んだ」」」
『何でや!儂も御屋形様と一緒に撃沈したやろ!』
#突然何を
武田二十四将のご紹介。23弾は「一条信龍」です💡
信玄の異母弟。武田氏一門衆として100騎を率い、諸国の浪人の中から逸材を召し抱えるよう心掛けていた。甲陽軍鑑では、山県昌景が"伊達者にして花麗を好む性質なり”と言い、信玄が軍事面において信繫と信龍を最も信頼していたという記述がある。
武田二十四将のご紹介。第17弾は「小幡昌盛」です💡
小畠虎盛の息子。父の死後、信玄の旗本となり小幡姓を名乗る。馬の名手で敵情視察で追われても決して捕まることがなかったという。"鬼の子には鬼の娘が相応しい"と信玄の計らいで原虎胤の娘を正室にした。「甲陽軍鑑」の編者、小幡景憲は昌盛の3男
武田二十四将のご紹介。第4弾は「高坂昌信(春日虎綱)」です💡
武田四天王の1人。石和の大百姓、春日家出身。信玄に見いだされ近習、足軽大将、海津城代になるなど異例の出世を遂げた。信濃国衆香坂氏の名跡を継ぐよう命じられ「高坂弾正」と呼ばれる。「甲陽軍鑑」の原本とされる書物を書き上げた。
内藤昌秀「喧嘩を売られて黙ってるのは男じゃない!
喧嘩両成敗なんて軟弱者の法だ!」
春日虎綱「何、宴の席で一献奨めたのに相手が飲まない?
…無理矢理でも飲ませろ、男の意地だぞ」
武田信玄『お前ら』
#甲陽軍鑑
山県昌景『我らも火縄銃は備えていたが、あんな塹壕を掘られては効果も薄い
甲陽軍鑑にある通り、正に城攻めの様相だった』
馬場信春「撤退しないのが悪い?
後背には長篠城と敵に取られた鳶ノ巣山がある
間違いなく挟撃の形、数に勝る敵の追撃を受ける
亡き御館様なら…いや、何も言うまい」
武田信玄は黒雲、上杉謙信は放生月毛…といえば各々の乗馬だけど、放生月毛はその後どうしたわけか、のどかちゃん…長坂釣閑斎が持っていたらしい
馬の寿命を考えて武田滅亡の頃には死んでいただろうけど、どんな気分で乗ってたんだろう…。
#甲陽軍鑑
穴山梅雪『そろそろ、㈱武田商事を倒産させたのは誰が一番悪いか決めよう。
儂、社外取締役。1抜けた』
小山田信茂「儂も社外取締役。2抜けた」
木曽義昌「3抜けた」
のどかちゃん「甲陽軍鑑にあんだけ書かれる覚えがない、4抜けた」
『「「「…おや?」」」』
#間を取ってなんもかんも貧乏が悪い https://t.co/BA9ZnaN2lV
@Taibou_No_Baio 高坂弾正、逃げ弾正の異名を持つ高坂昌信(春日虎綱)さんですね、甲陽軍鑑は彼の口述を筆記したものと言われています、私にとって高坂と言えば・・
@nobutoyo_tenkyu 甲陽軍鑑とかだと、板垣の爺亡き後の信玄叱れるクラスで逸話も豊富な人ですからねー…
戦国SLGとかだと築城術に優れて内政手腕もあって面構えが渋いので、確かにファンは多そうです
#太閤立志伝5のこの鬼不死身のさんの据わった眼が素敵
@nobutoyo_tenkyu 『真作でも、後世に誰かが加筆してしまうと如何に他の記録が正確であっても贋作に堕してしまう。
甲陽軍鑑然り、武功夜話然り。
…よって、儂も一般に語られる様な屑ではない。Q.E.D』
#浮気の言い訳にはなってない件 #中の人は太田うしいちさん動画で頭の洗濯中
今日の大学の講義 終了。
フランス語のテストで満点取って完全勝利した魔王UC(デストロイ・アンチェインド)
大学の図書館で歴史系の書物漁ってたら甲陽軍鑑の現代語訳の本があってなんか草。正直内容史実と全然違うからこれ読んで誤解する人がいないか不安かも(杞憂)
@nobutoyo_tenkyu @NiseSai0201 『多分、東照大権現とかいう偉大なる神に赤恥掻か…げふん。
認められたからじゃなかろうかの。
太田牛一の信長記か何かで、長篠の戦でも武田側で討ち死にした者の筆頭に据えられておったし、後典厩殿の嫌いな甲陽軍鑑が読み物として流行った事も影響大じゃろうて』
#江戸にお住まいのTさん談
「桶狭間の戦いと『甲陽軍鑑』」の続きについて…😊
『#信長公記』は「桶狭間の戦い」を描いた一級史料ですが…
信長が中嶋砦をどのように出撃し、如何にして今川義元が陣取る「山際」まで辿り着いたのか?…肝心の部分が何故か省略されています💦
それに対して…
⤵️つづく
『#武田信玄の諏訪法性兜③』
信玄公のトレードマーク=諏訪法性兜はどんな兜だったのか?
『甲陽軍鑑』では「諏訪法性上下大明神」という前立が付けられた兜である…と、説明されています。
では、何故江戸期の錦絵や大河ドラマなどでは獅子噛の前立がつけられているのかというと…
⤵️つづく
おはてんきゅうヾ(゚ω゚
面倒な人がいた時に使える、甲陽軍鑑を編集した小幡景憲殿の画像です
甲陽軍鑑でボロクソに書きたくなる人がいた時にお使いください