ただ、如意丸の死の遠因はこの内戦を起こした直義にあることは間違いなく、彼自身が自分を責めたであろうことは想像に難くない
如意丸の死は観応の擾乱の勝者である筈の直義陣営に確実に影を落とす
それは直義自身の死も間近であることを意味しているのであった

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逃げ若武将名鑑【足利如意丸】
足利直義、頼子夫婦が共に40代の時にできた待望の子供
その誕生は北朝上皇、公家、武家、尊氏からも祝福されるも、同時に観応の擾乱の火種にもなってしまう
観応の擾乱の際は数え5歳で父と共に参陣していたが、陣中の寒さに耐えられず夭折
 

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【Tips】おさまれと/私もなく/祈る我が/心を神も/さぞ護るらん
観応の擾乱の渦中、尊氏が詠い松尾社へと奉納した歌
この騒乱が治まるように私心なく祈る私の心を神は護ってくれるだろう…と何の捻りもなく詠んでいる
尊氏のあまりに素朴な楽観思考がそのまま表れている
 

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これじゃあ観応の擾乱じゃなくて官能の情乱だよこれ(2週連続)

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ようやく逃げ若見たけど
観応の擾乱の最中に官能の情乱をするな

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山内経之「もうだめぽ……生きて帰ることはないでしょう……」って手紙を最後に消息が途切れるから、常陸合戦で戦死が有力っぽいが、逃げ若だと観応の擾乱で上杉側についてるから無事生き延びたっぽい

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長らく子を授からなかったにも関わらず1347年に妊娠して長男如意丸を出産
どれだけ若く見積もっても40代には到達していた筈なので、これもまた当時にしては相当に異例の高齢出産である
ただ時期としては正に観応の擾乱が巻き起こる頃であり、それがこの夫婦の不幸となった
 

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貞宗は大徳王寺城の戦い後も高師冬の要請を受けて北畠親房が籠る大宝城攻略に参戦したり精力的に活躍
1345年には嫡子の政長に守護職や所領を譲りながらも政務に携わる半引退生活に
足利家の内乱である観応の擾乱が巻き起こるより前の1347年5月26日に京都で死去。享年56歳

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道誉はこの手の偽装をかなり常習的に行なっていた節がある
尊氏と直義が対立した観応の擾乱においても尊氏派だった筈の道誉に謀反の疑いありとして尊氏が挙兵してますが、これは京都にいる直義を包囲する為に尊氏が軍を動かす名目を作る偽装と言われている

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北朝の勅撰和歌集『風雅集』で自分が選考対象外だと知って憤る辺り、最早立場を忘れてる気がしないでもないが観応の擾乱に乗じる形で挙兵
征夷大将軍に任じられ「まさか余が弓を身に付ける立場になるとはな」という和歌を詠みつつ、時行や義興を動員した大勢力で鎌倉を占拠
 

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中先代の乱編に入って足利方の手ごわさが段違いになるのに比例して、時行きゅんのトキメキ具合も加速していて、なんというか濃くて素晴らしい(*´Д`)ハァハァ。…にしても、こんな化物めいた足利勢が内輪もめすりゃ、そりゃ観応の擾乱だって誰も収拾不可能な大乱になりますわな。

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宗良新王、足利尊氏、新田義宗義興、饗庭命鶴丸。日本史にキラ星のごとく輝くビッグネーム & 20万騎がヤオコー所沢椿峰店周辺で激突する‼️ のですがまったくと言っていいほど知られてないですよね😅

花一揆と児玉党のうちわ【所沢市】 https://t.co/4KguIAsDBW

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侍台頭して幕府作り、政権握る朝廷と協力しながら国づくり。政権とりたい侍と、とられたくない公家との争い、皇族勢力も2つに割れた事から、南北朝時代が生まれ、幕府のゴタゴタ(観応の擾乱)もあって60年続く。義満が幕府に権力を集め一本化する直前の時代の話。説明むずいし知らんけど

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本日はお題「頭領」ということで、源氏の頭領?(本当は「棟梁」か)足利尊氏。
源氏の棟梁らしい格好を、と思い、観応の擾乱後、上洛のため籠手と脛当を身に着けた姿を。そしてもうこの時には、直義も師直もいないんだなぁ。

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いよいよ開催まで1カ月(^^)
現地参加は定員まであと1人(鈴木先生講座)🍀
オンライン参加や十万南北朝まんじゅうを始めとしたグッズ申し込みはまだまだ受け付け中☀️
『中先代の乱』著者の鈴木先生、『観応の擾乱』著者の亀田俊和先生に講座をしていただきます^ ^

https://t.co/n8O9LnmQEN

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太平記絵巻展なう。
もちろん展示物は撮影不可なので画像撮れるとこで。博物館が用意した撮影用タペストリーと撮影可な板碑コーナーでお茶を濁そう。
(見たい人は是非行ってね)
図録とガイドをgetで上機嫌。
余談だが「高麗経澄軍忠状」が展示してあって…武士ライフ(観応の擾乱)創刊號を参照の事

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TS南北朝の上杉憲顕。関東管領上杉氏の基礎と、越後での地盤を築き上げる。観応の擾乱で直義方の首魁の一人として尊氏と対立するも、彼の息子二人からの信頼は厚く復権、芳賀禅可に「降参不忠の上杉」呼ばわりされる。生涯にわたって何故か強敵たちと戦い生き残った不倒翁。#ts南北朝

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