【Tips】直義の死
薩埵峠の戦いに敗れた直義は、尊氏によってそのまま鎌倉の延福寺に幽閉される
幽閉後2ヶ月が経った1352年2月26日、直義は急死する
その死亡した日時は奇しくも直義と対立して殺された高師直ら高一族の一回忌の日であった

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逃げ若武将名鑑【高師夏】
高師直の息子で高一族春夏秋冬コレクション最後の一人
師直が前関白ないし太政大臣の妹を攫って産ませたという厄ネタそのものな出自を持つ
美しい容貌と善良な心を持っていたが、武庫川での一族暗殺に際して助命を断り処刑された。享年13歳

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逃げ若武将名鑑【大草三郎】
恐らく足利義満の料理人で大草流庖丁道の創始者とされる大草三郎左衛門公次
彼の父親は高師直の配下であり、四条畷の戦いで先陣を切って討ち死にしている
足利将軍家の料理は毒殺を恐れ、大草一族のような忠誠心の強い譜代の家臣に任された

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逃げ若武将名鑑【三浦八郎】
三浦八郎左衛門。上杉家の配下と思われる
上杉能憲の命を受け、打出浜の戦いの後の和議の条件で出家した高師直、師泰一行を武庫川付近で襲撃・殺害した
この暗殺劇にだけ出てくる人物であり、彼の出自もその後も一切不明である

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【Tips】血気の勇者
打出浜での敗北後、直義と尊氏は高師直・師泰・師世の出家を条件に和睦
しかし直義は講和条件を守る気はなく、師直らを京への帰路で暗殺を目論む
師直達も暗殺を察知し、尊氏の傍から離れないようにするも、途中から横入りの軍が大勢現れ孤立した

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逃げ若武将名鑑【薬師寺公義】
高師直派の武将。小山氏の支流の流れで橘姓を継ぐもの
鎌倉府執事の高重茂の補佐として関東に下向して直義派の上杉氏らと対立
打出浜での敗戦後、師直の出家を条件にした直義との講和に反対して徹底抗戦を主張するも果たせず、失望して出家する

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恐らく高師直配下で関東執事補佐の薬師寺公義。打出浜の戦いに参戦記録がある。師世といい、かなりマニアックな武将が出てきているな

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逃げ若武将名鑑【上杉能憲】
上杉憲顕の子だが叔父の重能の養子になっている
重能が高師直に暗殺されたことで「高一族絶対殺すマン」と化して関東で高師冬を攻め滅ぼす
師直ら高一族の出家を条件に直義と尊氏が和睦した後も許さず、京に向かう途上の高一族を襲撃して賊滅した

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每週本誌
其他人:這什麼💩
我:啊....高師直你好美

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【Tips】御所巻
将軍の邸宅を配下の軍勢が取り囲み、何らかの政治的要求を行うこと
主君を襲ってぐるぐる巻きにして無理やり好きにさせることではない
1349年に高師直が直義の解任と処罰を求めて行って以降、室町幕府の伝統芸となった。イカれた伝統芸だな

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そのことに感激した上山は、その後ピンチに陥った師直の元に駆け付け師直の鎧を着たまま「我が名は高師直!」と叫びそのまま討ち取られた
楠木正行は師直と思い込んだ上山の首をお手玉にして遊んだが、直後偽物と知り激怒
それでも正行も上山を「日本一の勇者」と讃えたという

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1348年、四条畷の戦いで高師直軍と激突。一時は有利だったが、経験に勝る師直の挟撃に苦戦
それでも粘り続けるが決定打を与えられず、そのまま力尽きて自害
『園太暦』は正行の死を聞いた京の人々の騒ぎを「祝賀」と喩えたが、そこまで恐れられた勢いある将の突然の死であった

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高師直...一話比一話還美.....根本女王....想被他踩.....

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金ヶ崎城の戦いで高師泰の下に入り、子の師貞・師国が高師直からの偏諱な辺り、南北朝の早い段階で足利首脳に取り入り勢力を拡大したのは間違いない
信州惣大将は守護に対する形式的な副将めいた立ち位置で、これを不満に思う村上家は幕府や小笠原家と対立していく

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逃げ若武将名鑑【上杉重能】
足利兄弟の従兄弟で直義の腹心
藤原北家勧修寺家の出身で母方の伯父である上杉家の養子となったため、上杉憲顕との関係は厳密には義兄
建武の乱でも足利兄弟と共に付き従い、伊豆守護を経て直義の腹心に。しかし高師直との対立の末に暗殺される

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例えば雑訴決断所の「土地問題を審理と強制的な命令で解決する」のは正常な行政の在り方です
実際、高師直は執事施行状という「土地問題が起きたら武力で治める」暴のシステムを組み込み機能させた
ただ、朝廷には既にシステムを機能させるだけの武力も権威もなくなっていた
 

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本日稼働のSEGA様【英傑大戦 二天双龍の闘い】
Ver.2.5.OAに実装の『高師直』(CV:稲田徹様)の
イラストを担当させて頂きました。
宜しくお願いしまーす!

https://t.co/YosLxO8TwZ

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いずれにせよ彼の信奉のほとんどは足利尊氏に向けられたものであり、その凄絶な忠誠心こそ「神仏を畏れぬ男」の正体なのかもしれない
「高師直」は「足利尊氏」という神を尊び、神はその氏を高名へと押し上げられた──

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これらの根拠を以て「騎馬武者」を「高師直(及び一族の誰か)像」とするのは江戸時代の誰かの手による意図的な細工であり、実際は「足利尊氏像」で間違いない!とするのが揺り戻し説です
ただし何故尊氏を師直像にしようとしたのか等、謎も多くまだ確証ではありません
 

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【Tips】続・騎馬武者像
足利尊氏の肖像として知られていたものの「高師直じゃね?」と疑問視され、さらには師直ですらないと言われ出した知らないオッサン像こと「騎馬武者像」ですが、近年になって「やっぱり尊氏じゃね?」と説が戻ってきたらしい
 
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