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『梅松論』には尊氏が政務を任せた直義に次のように忠告する逸話が残っています 「直義、お前は政治家なんだから重々しく振る舞え。あまり遊んだりしたら駄目だぞ?我?我は軽々と振る舞っていいんだよ。その方が皆に慕われるし……」 こ……コイツ……! #逃げ若 #逃げ上手の若君
名実共に武家の棟梁である将軍となり、室町幕府が正式に成立したその瞬間、尊氏は将軍としての「恩賞を与える権限」以外の全てを移譲します この間の尊氏は下文の発給や天竜寺落慶等の儀式の参加以外では政務から完全に離れて、田楽観賞等の遊興にふけっている #逃げ若 #逃げ上手の若君
【Tips】空白の10年間 尊氏が北畠顕家を討伐したことで征夷大将軍となった1338年から、観応の擾乱の発端となる御所巻が起きる1349年前辺りまでの期間 尊氏は武家の棟梁となったことで政務を全て直義や師直に丸投げして、田楽鑑賞以外のことをしていないと言われている #逃げ若 #逃げ上手の若君
南朝に降った直義が北朝の足利政権に復帰したことで歪みも発生している 北朝視点からしたら、直義は敵である南朝に与して北朝の重臣である高一族を滅ぼした謀反人なのに北朝に復権させたわけですからね 北朝最高権力者の裁定としての矛盾。それは南北朝を更なる混沌へと導く #逃げ若 #逃げ上手の若君
とまあ、納得いかない部分が多い裁定なのは変わりなく、能憲は直義との交渉の末に死罪は免れ流罪になるなど色々譲歩されました 顕氏の件についても「(私尊氏は)降参人の癖に何しに来た(んですか、会うには恐れ多いです)」と訳すべきという解釈もある 苦しくない? #逃げ若 #逃げ上手の若君
さらに直義が今回朝敵に認定させたのは「高兄弟だけ」ということが響いてくる 尊氏が「今回直義が戦ってたのはあくまで師直たちであって我じゃないだろ?じゃあ我負けてないし、将軍だし」のロジックが(ギリギリ)成り立つ ……いや、アンタ打出浜で師直側についてただろ!? #逃げ若 #逃げ上手の若君
この辺に尊氏の卓越した政治センスというかバグ技がありまして… 尊氏は武家の棟梁である征夷大将軍になってから政務のほとんどを直義や師直に丸投げしています それでも配下に恩賞を与える権限ってのは絶対手放しておらず、それ即ち論功行賞を仕切れる立場にあるということ #逃げ若 #逃げ上手の若君
無敵モードの尊氏は凄まじく、高一族を殺した上杉能憲に対して怒り狂って死罪を言い渡し、面会に来た細川顕氏に「降参人の癖に何しに来た」と冷たく言い放ち追い返す 言っておくが、この時の尊氏は打出浜の戦いで直義勢に敗北したばかりの状態 「どのツラ下げて?」である #逃げ若 #逃げ上手の若君
逃げ若武将名鑑【足利尊氏(征夷大将軍)】 征夷大将軍の権限をフルに使って開き直り無敵モードと化した尊氏 無敵すぎて負け戦すらなかったことにして論功行賞を仕切ることが可能 「だって思い返してみたら我……打出浜で直義を倒していたかもしれん…」 頭パワーちゃんか? #逃げ若 #逃げ上手の若君
直義は雑魚!!直義は雑魚!! 我が最初の征夷大将軍なんじゃああああああ!! #逃げ若本誌