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そもそも武士への恩賞自体が問題になっている部分もある 後醍醐帝は最初自らの手で全ての北条の土地を再分配しようとしましたが、恩賞欲しさに手柄を盛ったり嘘を吐いたりする武士が多数 例えば日置氏は早くから味方していたとして、書類の日付を書き直してる跡が見つかってる #逃げ若 #逃げ上手の若君
天下を朝廷に戻した後醍醐天皇が始めた建武の新政ですが、倒幕時に護良親王が令旨をバラ撒きすぎた反動が早速来る 後醍醐としては天皇の出す命令の綸旨を絶対としたいのに、護良が勝手に恩賞の約束をした令旨が邪魔になったのです これが護良との軋轢の一つと言われている #逃げ若 #逃げ上手の若君
その反乱を鎮圧する為に派遣された足利高氏にも倒幕の綸旨が送られ、それに従った高氏によって六波羅探題が壊滅。鎌倉幕府滅亡へと雪崩れ込みます 一連の絵図を完璧に描いてたなら恐るべき策士ですが、正中の変のgdgdさを見るに割とたまたま条件が重なっただけな気もする #逃げ若 #逃げ上手の若君
それ以上に恐ろしいのはド級のリトライ、ドリトライの精神性でしょう それこそ承久の乱を起こした後鳥羽院のように反乱を起こす天(上)皇はいましたが、配流先から戻ってくる程の人物は空前絶後です 正成の奮闘、護良親王の令旨ばら撒き、赤松円心の挙兵とタイミングも絶妙 #逃げ若 #逃げ上手の若君
何と後醍醐天皇は配流先の隠岐から脱出 この時出迎えたのが三木一草の名和長高(年)で、海運業を営んでいた彼に因んで「帆掛船」の家紋と「名前が長くて高いのは危ないからこれで長生きしろ」と「年」の字を贈ったという 人心掌握術の高さが感じ取れる逸話です #逃げ若 #逃げ上手の若君
「諏訪大明神絵詞」によると藤沢が継いだことで諏訪大明神の怒りを買い様々な災いが起きた…とされますが、まあこれは諏訪大祝家が正統性を示す為のプロパガンダでしょう 実際は建武政権が立てた大祝を足利(北朝)政権が否定し、御しやすい年少の頼継を頭に据えるのが目的かと #逃げ若 #逃げ上手の若君
逃げ若武将名鑑【藤沢政頼】 中先代の乱の責任を取り自害した諏訪頼重・時継親子の次代の諏訪大社大祝(主) 藤沢氏は平安末期に諏訪家から分かれて伊那郡藤沢に居着いた一族で宗家からは遠い 小笠原貞宗によってその座を追われ、諏訪頼継が代わりに大祝を継いだという #逃げ若 #逃げ上手の若君
軍事・政治・謀略・文化……あらゆるところに名が現れ、そしてその全てで違う顔を見せるという意味で最も食えない人物でした ただ時と場合によって婆娑羅を使い分ける処世術に長け、足利家に一途に仕えた高い審美眼は紛れもなく本物で、南北朝を代表する傑物に他なりません #逃げ若 #逃げ上手の若君
連歌では道誉の真似を皆がしたとか、茶では名物「九十九髪茄子」を見出して義満に献上したとか事実伝来含めて様々な文化にその名を残す 庶民文化の「猿楽」にも目を付け、観阿弥・世阿弥と交流を持ち、映画にもなった犬王を日本一と褒め称え「能」に大成する一助になったとか #逃げ若 #逃げ上手の若君
代名詞の「婆娑羅」にさえフェイクが混ざってて油断ならない道誉ですが、貴族文化への熱量は本物 勿論文化を通して公家とのコネを作る政治的役割は否定できませんが、道誉の場合は影響力が大きすぎる 一説には華道において最古の伝書とされる『立花口伝大事』も道誉の口伝とか #逃げ若 #逃げ上手の若君