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【Tips】新田家の官位 義興が若干7歳にして賜った「左兵衛佐」は御所警護等を司る左兵衛府の次官で正六位下相当 『鎌倉殿の13人』で源頼朝が「佐(すけ)殿」と呼ばれていたアレです この時の父・義貞は従四位上「左馬助」、死んだ兄義顕は従五位下、叔父の脇屋義助が正五位下 #逃げ若 #逃げ上手の若君
お互い“尊”に無頓着すぎて実は偏諱じゃなくて尊氏が勝手に名乗ってるだけじゃねーの?とも言われますが、それはそれで怖いだろ… なお尊氏まで通字は“氏”ですが、以降室町幕府将軍は“義”に変化 “義”は源氏の通字でもあり、足利が由緒正しい武家の棟梁と示すためと言われている #逃げ若 #逃げ上手の若君
天皇からの偏諱は他に例がないため、尊氏の喜びようもまあ理解は出来るんですが、後醍醐帝と対立を続ける武家の棟梁として示しがつかないんじゃないかって気がしなくもない しかし後醍醐天皇側も敵対してからも「尊氏」の表記は変えてなかったりする なんだコイツら…… #逃げ若 #逃げ上手の若君
【Tips】“尊”の字 尊氏は御家人時代は主君の北条高時から一字賜って「高氏」だった しかし倒幕後は後醍醐天皇の諱・尊治から一字賜り「尊氏」に改名 尊氏はこのことに感激し、以後後醍醐天皇と敵対してからも頑なにこの名前を名乗り続けた なんだコイツ…… #逃げ若 #逃げ上手の若君
新田神社内には義興の祟りによる七不思議が残る等、現在に至るまで新田大明神は畏れ敬われている 怨霊伝説は恐ろしいものと取られがちですが、裏を返せば多くの人がその恨みを当然と思い同情したということ 新田くんの鮮烈な生き様は昔も今も多くの人々に愛され続けるのです #逃げ若 #逃げ上手の若君
特級呪霊義興を鎮める為に建立されたのが新田神社で、義興は「新田大明神」として祀られます 江戸時代には平賀源内がこの怨霊伝説を『神霊矢口渡』の戯曲にまとめて公演 さらに源内は境内の竹で矢を作りそれが破魔矢の元祖になったとか。新田くんのキャラグッズなのか…… #逃げ若 #逃げ上手の若君
沈み行く船上で義興は「七度生き返っても恨みを晴らし続ける」と怨嗟を吐き切腹 その後怨霊と化した義興は江戸遠江守ら関係者を次々殺害、矢口の渡しに怪光が出現し、雷で入間川一帯は焼き尽くされたという 廻る呪い……いや……「My name is KAISEN… JUJUTU KAISEN!!」か! #逃げ若 #逃げ上手の若君
少数精鋭で潜伏していた義興は脅威で、時の関東執事畠山国清は竹沢右京亮に命じて暗殺を実行 色仕掛けに引っ掛かりそうになるも、義興が逆に美女を魅了したことで失敗 続いて江戸遠江守・下野守に命じて多摩川は矢口の渡しで船に穴を空ける形で騙し討ちに #逃げ若 #逃げ上手の若君
側室の子ともあって新田家内での立場は微妙ともされていますが、越前で父義貞が戦死した後は上野・武蔵・信濃・越後と主に関東方面を転々 奮戦の記録が多々残る辺り、新田家でも有数の猛者として名を馳せたと思われます 尊氏死後も関東方面の攻略で南朝からの要請を受け出兵 #逃げ若 #逃げ上手の若君
『太平記』は年齢関係の間違いが多いので鵜呑みにはできないものの、時行をはじめ少年武将がこの時代に多いのもまた事実 その時行とは1337年からの北畠顕家軍で一緒となり、以降時行の3度目の鎌倉奪還や武蔵野合戦でも共に戦っている そこに親の仇云々の因縁は感じられません #逃げ若 #逃げ上手の若君