平野レミゼラブルさんのプロフィール画像

平野レミゼラブルさんのイラストまとめ


最近は映画感想botと化している。
Filmarks:filmarks.com/users/28kawash…
Pixiv:pixiv.me/remy-wakaruwa
cinemasou.blog.fc2.com

フォロー数:1413 フォロワー数:3790

その関東時代に記していたのが『神皇正統記』と『職原抄』
『神皇~』は神代からの歴代天皇の事績、そして南北朝動乱の記録を記した歴史書
『職原抄』は朝廷の官職・秩序をまとめたもの
ロクに史料もない関東で書いたのに詳細に記されており、親房の博覧強記ぶりが窺える

22 70

とは言え、親房自身が武士に高い官位を与えるようになり、理想通りには行かなかった
関東統治時代は結城親朝(宗広の息子)をなだめすかして南朝に留めようとしたり、中間管理職の悲哀が滲む
結局親朝は離反、対立貴族の反乱(藤氏一揆)、師冬の鬼強さで関東統治は失敗する

23 80

武士への差別意識は著作に結構著れており『神皇正統記』では「武士連中は全員数代の朝敵で家を失わないだけ有難いと思え」と記述
同著では南朝方の大物楠木正成と新田義貞の戦死の部分もほぼ無視してます
尊氏もずっと「高氏」表記。これは尊氏表記を続けた後醍醐がおかしい
 

25 70

思想も親子で似通っている…というより顕家が親房の影響を受け継いでる部分があり「北畠顕家上奏文」もいくつか父の代弁じゃないかとも言われています
一番言われているのが「無暗矢鱈に武士に官位を与えて朝廷の仕事をさせるな」という思想で立場としてはガチガチの保守派

27 86

このバイタリティ、正に「顕家が成長したらこうなる」を体現したかのよう
顕家の死は『神皇正統記』で「忠孝の道ここに窮まる」「心憂き世」と嘆き悲しんでいる
大河『太平記』で顕家死後、人前では気丈に振る舞うも一人になると化粧が流れるほどに号泣する場面は名シーン

26 78

中先代の乱が起きてからは上京し、尊氏を刺激しないよう諫言
その間に伊勢を抑えて拠点とし、帝の補佐の為に吉野の朝廷と行き来
顕家死後は挽回のため勢力を分散。後に関東にも赴き基盤を固めようとするも失敗すると吉野に帰還…と最高指揮官となってから滅茶苦茶走り回る

24 73

建武の新政が始まってからは政界に復帰。顕家と共に奥州に赴任します
倒幕に加わっていない、冷遇した護良親王の義父ということから左遷とも言われてますが、同時に義良親王を任せているので報復人事の線は薄い気もする
親房は出家の身なので顕家のあくまで補佐の役割でした

30 90

北畠家自体が大覚寺統に代々仕える近臣ですが、親房は後醍醐天皇の父である後宇多天皇に仕えた「後の三房」の一人
後醍醐帝からも皇子の世良親王の世話を任せられるほど信任は厚かったのですが親王が急逝したことを嘆き出家
政界を引退したため倒幕運動には加わっていません

26 76

逃げ若武将名鑑【北畠親房】
北畠顕家の父で後醍醐天皇一番の側近。南朝の実質的な最高指揮官
謀略を得意とした寝業師。各地を駆けずり回り、同時に学識も広めていくなど顕家とは別ベクトルの「戦う貴族」であった
著作『神皇正統記』は後世の歴史観に大きな影響を及ぼす

233 961

そもそも暗殺兄弟に関しては名前の確認以前に暗殺の母に一度兄弟一緒くたに呼ばれただけだから、暗殺の母の身代わりで死んだミラのりとミラきち以外は区別つかねんだわ!!今回論文を査読に通るレベルで書けるのがミラタロウってやっと判明したレベル

1 12