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1945年3月26日08:15 海軍航空作戦 紫電改33機(三四三空・S七〇一/S四〇七/S三〇一)高度5,500m哨戒中、奄美大島と喜界島の高度6,000mにF6F16機編隊を発見。直ちに上昇し左旋回で反転、第二中隊は後方より敵の攻撃を受け交戦。第三中隊は上空より支援し、喜界島より笠利崎中間付近高度4,000mにて交戦。
1945年3月11日19:07 第二次丹作戦 銀河1機は空母「ランドルフ」の右舷フライトデッキ、205番フレームに体当たりを敢行。 航空機14機破壊、10機損傷。 戦死者25名 行方不明者3名 負傷者106名
1945年3月10日 東京大空襲 月光4機(三〇二空)の内、1機(及川成美上飛曹機)が照空灯に捕捉されたB-29を認めて接近、東京市街を眼下に連射を2〜3回浴びせて1機撃破を報じる。
1944年12月28日 本土方面海軍作戦 空母「信濃」生存者の中で、30名程の士官及下士官らが海軍省に出頭を命じられる。 これは「信濃」喪失の原因究明の為の極秘委員会で証言する為であったが、審問する士官の態度は、「信濃」沈没の責任は乗組員にありと、審査の前から決めつけているとの印象を与えた。
1944年12月26日23:10〜23:12 礼号作戦 駆逐艦「霞」「榧」は雷撃を敢行。
1944年12月2日 海軍航空作戦 月光2機(一五三空・S八○四)は第120駆逐群を銃爆撃、駆逐艦「モール」「アレン・M・サムナー」が損傷。
1944年11月29日09:00 本土方面海軍作戦 空母「信濃」は全動力を失い、傾斜は20度を越える。
〈空母「信濃」被雷による被害〉 ・1本目は巨大な冷却区画と航空機ガソリン貯蔵用の空タンクの一つに突入して炸裂。そのため一層下の別の冷却区域まで急速に浸水し、爆発は天井の甲板も噴き抜いて壊し、機関科兵員室で仮眠中の兵員を殺戮。
1944年11月29日03:18 本土方面海軍作戦 空母「信濃」は右舷の中央喫水線上とバルジやや上方に魚雷4本が相次いで命中。衝動で見張員1名が跳ね飛ばされ、鉄甲板に思いきり後頭部を叩きつけられる。 〈被雷箇所〉 1本目:194番フレーム 2本目:162番フレーム 3本目:118番フレーム 4本目:104番フレーム
1944年11月28日16:00 本土方面海軍作戦 「信濃」艦長は駆逐隊に発光信号を送り、本艦を嚮導艦として中央に置き、警戒航行配置につくよう命じる。