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天正四年(1576年)四月十八日
山科言経『日野輝資殿と共に飛鳥井羽林(雅敦)を訪問、“ウトン”を振る舞われる。
三条西の爺様…じゃない、実枝(実澄)卿らと蹴鞠に興じる』
山科言経『ずるずる。
…なんか、昨日も啜るもの系だった気がする
蹴鞠?御相伴に与ります…あり、やう…よっと』
#言経卿記
@raisoku_123 足利義昭『器の大小など、後世の評価で幾らでも変わるから生きてる間に悩んでも仕方ないぞ』
尼子晴久「わかる」
柿崎景家「わかる」
上杉謙信「わかる」
#前三者は一昔前の戦国SLGだと下手したら智謀が百点満点中二十点無かった #最後の一人は器量と性格評価が急降下した
天正十年(1582年)四月十七日
山科言経『冷泉黄門(為満)殿に“サウメン”を振る舞われる。
暮、冷泉殿が来訪。“詠歌大概”(定家の歌論書)について講義する』
山科言経『ずるずる。
ええ、相変わらず銭はありませんね。日記を反故紙に書くほどです
定家の講釈?よござんす、夕暮にどうぞ』
#言経卿記
永禄十一年(1568年)四月十五日
山科言継『午後二時頃、伏見殿(伏見宮貞康親王)が亡くなられた。御歳二十二歳のご早世は、言葉に出来ない…言葉に出来ない』
織田信長「嬉しくて?」
山科言継『悲しくてに決まっておろう、儂ゃ小田和正か』
織田信長「オフコース」
山科言継『もうええわ』
#言継卿記
@nobutoyo_tenkyu そういえば織田信忠さん、戦国時代あるあるで“勘九郎”が“菅九郎”って記載されてたりするんですよね
…あっ(
#というか織田一門も大半ろくな目に遭ってない疑惑
#唐突な太閤立志伝5小ネタ
問・柴田勝家『刀で個人戦の多対一が勝てぬ!
奴輩、此処ぞと言うときに予想外の動きで背後に回るわ挑発するわで始末に終えん!
答・前田慶次「何、苦無を使って遠距離から攻撃すれば良い
剣豪に喧嘩を売るとかなら兎も角、山賊程度なら腕っ節次第では一撃で倒せるぞ」
永禄十三年(1570年)四月十四日
山科言継『蓮光院(烏丸光康?)の要請で織田信長殿に会うも“今日、がっぺむかつく事があった!!”というので帰る。
路上にて武井夕庵殿(信長の右筆)に会う。禁中見物に付き合う』
武井夕庵「災難でしたなあ言継卿…こんな日もありますよ…ささ、まずは一献」
#言継卿記
@DdviYo2BvVAvWN6 @saigaku_gokokku 三好宗三…討死
三好宗渭…興福寺坊官「なんか悲惨な死に方したらしいよ」
三好長逸…行方不明
三好長治…逃亡中に信頼してた領民が細川真之方に居場所タレ込んで自刃
三好義堅(十河存保)…上司が無理な渡河作戦して討死
三好笑岩…詳細不明
三好長慶『…お祓い受けた方が良いな』
興福寺尋尊「断る」
天正二年(1574年)四月十三日
前年から六角承禎が籠城していた近江石部城が織田信長軍により陥落
承禎は夜陰の雨に紛れて逃亡。
織田信長『お前ら何遍蜂起・脱出してんだ
デビッド・カッパーフィールドか!』
六角承禎「六角は滅びぬ、何度でも蘇るさ!」
六角義治「これが最後ですがね」
#信長公記
@JNXufQJaLoaM7at @ogino_otaku 徳川家康『石礫なんかに、負けたりしないッ!!(三方ヶ原台地へ突撃、鶴翼で包囲殲滅を目論む)』
小山田信茂「そーれ(徳川軍の片翼に石礫連射)」
徳川家康『石礫には勝てなかったよ…(』
#三方ヶ原の戦い