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徳川家康『故に、儂はこの“覇者認定機関”を超越する政権構築を目指し、禁中並公家諸法度を敷き将軍宣下の使者が江戸に降り、世間に江戸幕府が朝廷を超越していると認識させる礎を築き上げたのだ』
岩倉具視「…忌々しい軛よ、引っ剥がすのに二百と六十余年も掛かったわ!」
#明治維新 https://t.co/akNw9XRvmW
二条晴良「主上、世間では豊臣と徳川は簒奪者か否かで喧々諤々の様子ですが」
正親町天皇『…判っておらぬな、秀吉が織田信雄や足利義昭を、家康が秀頼を超越したと御墨付きが出したのはいつ、誰がなのかを』
二条晴良「…後者に前者を凌駕する官職を、主上が与えた刹那です」
#覇者認定機関
@dousetumiki 埋めたりせずそのまま野晒しで置くのも供養のうち(放る→葬る)だったそうですね
関ヶ原合戦の後、東軍が亡骸を敵味方区別なく埋葬供養して戦場の掃除をしたのも“もう戦国時代は終わった”感を偲ばせます
@hidetugu12 正親町天皇『実は石山本願寺、信長との和睦や大坂退去勧告は突っ撥ね通しでな
その都度、朕が綸旨で仲介していたのだ。朕が口添えせねばあるいは、本当に宗派諸共滅亡しておったやもしれぬ』
顕如「…で、その仲介は本当に帝の御心のみでなされたのか」
正親町天皇『(視線逸らし)』
武田元明『“オマハの賢人”…儂のことかな?』
ウォーレン・バフェット「違うぞ」
#オマハじゃなくて小浜だしそもそも賢人でもない #若狭武田家どころか後瀬山城というか若狭には城すらないのにひっそり登場している元明さん
@nobutoyo_tenkyu @yrms9 @kunohenoyabo 前田慶次「月並みな台詞であれだが“運が尽きた”のだろうな
浅井朝倉本願寺と包囲網が綻び、越後の龍も死んで北条も手切れで家臣に配当も出せぬ、では信玄公でもウォーレン・バフェットでも立て直せぬよ」
武田勝頼『それ、信長にも言われたなあ
久遠寺で御神籤でも引くか』
明智光秀「意味ないぞ」
永禄十三年(1570年)五月三日
“織田弾正忠殿(信長)を訪問、林佐渡守の取次で徳川家康・畠山高政・松永久秀殿と逢う。話合いの仔細説明を受け、徳川殿他三名に飯が振る舞われる”
徳川家康「言継卿も御健勝で何より(もぐもぐ」
松永久秀「ささ、一献」
山科言継『お、おう(なんだこの面子)』
#言継卿記
@MIZUNO0815 明智光秀『そうならぬように上杉景勝殿や毛利輝元殿と書状を交わし、公方様をお迎えして大義名分を得ようとしたのだが…信長の首を晒せなかった事と時間が足りなかったこと、あとスマホが無かったのが間違いの元だったな』
斎藤利三「信長の首さえあれば与力達や北条氏政も翻意して徳川家康に…ん?」