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昭和29(1954)年の富士波出版社の学習地図「新潟県」の裏面の新潟市の鳥瞰地図。鳥屋野の逆さ竹が絵だけ描いてあったり意外と細かいが、女池に男池に長池と蓮潟とか、海に呑まれた測候所が描かれていたりとか…、なかなか面白い。東山の下小学校が”第二小学校”? 隣に”農業高校”なんてあったのか。
(続) 犬山の日本モンキーパーク。地形図と違い地理院地図では遊技施設が細かく描かれ、楽しい雰囲気だがやや煩雑。都市計画図記載の建物を取捨せず記載のためか。迷路状の水路は、水を張ったレール上を走る“キャニオンスプラッシュ”。水のない部分も水路になっているし、そもそも水部で描くのが適切?
昭和47(1972)年5月15日に、沖縄本土復帰を記念して(財)地図協会が武揚堂から発行した「沖縄県総図」は、地形の表現に「多面外射斜照式レリーフ・シェーディング法」を用いたと謳う美しい地図。平成4年5月15日の復帰20周年には国土地理院から1万分1地形図「那覇」が記念発刊された。50周年はどうかな…
電車で通り抜けても降りて歩いたことのない東京都北区のイメージが曖昧😅。王子と赤羽どっちが都会?
区役所は王子。赤羽には大型店舗が多い。
40年前の地図を見ると映画館は王子に沢山。
赤羽は団地等で人口が多いのか。王子は工場や学校や公園があって人が集まるのかな?地図上の印象は対照的だ。
ヒコーキ印旅行案内社の地図、というのが戦前にあった。昭和14(1939)年発行の福島県地図。県下4市を並べてみる。当時は市域が狭く、市街地の外、郊外はすぐに村だったことが見て取れる。表紙と全体図も貼る。
1月23日なので、123で長崎県五島列島にある”一二三(ひふみ)滝”の地図を貼る。もう一つ検索された、”ひふみ”という地名、明石市日富美町も元は一・二・三番町を併せてのヒフミを縁起の良い字に書き替えたもの。大正14年の地図もあわせて貼る。現在も一番町公園が残っている。
明治22(1889)年測量の2万分1正式図「玉川村」は現在静岡市葵区の油島付近。安倍川が白龍のように流れ下るが、谷底はすべて河川敷で砂礫地の河原。破線の”安倍街道”は道として存在しえたのか怪しい。山中の緩傾斜地にある俵峰集落は現在の地理院地図でも健在。昔は畑(焼畑?)で現在は天空の茶畑だ(続)
新潟県長岡市の長岡駅前。昭和47(1972)年の富士波出版、昭和57(1982)年の昭文社の秘蔵😇の地図と現在のマピオン。往年を知る人にとっては、懐かしい街並みと人の賑わいが脳裏に浮かぶかと。
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シロクロなので「白黒小路」。鎌倉市の小字で地理院地図に注記はあるが、他の情報が乏しい。鎌倉市防災地図の注記や、建長寺境内遺跡の住所であることからは、地理院地図の注記位置は少し疑問。また、どういう謂れのある地名なのだろう?
昭和50(1975)年修正の5万分1地形図「岩国」は、新岩国駅のほかにもう一つミスのある図幅で、岩国空港を起点とする国道189号の記載が落ちていて存在がわからない。しかし、戦前の「軍事国道」でもあるまいし、基地を起点(目的地)とする国道というのは、どういう経緯で指定されることになったんだろうな