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なら、何処をどのようにして、何をどのようにすれば「人間の自然」に近づいて行けるのかを考えてみるスタート地点に立てる。ここで「自然」と言わず、「人間の自然」と言う理由もある。
その阿修羅と千手観音から一つ分かって来たことが、
6+2=8
2+2+2+2=8
3×2+2=8
2×3+2=8
1+1+1+1+1+1+2=8
と
42=2×21
42=3×14
42=6×7
42=40+2
42=2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2+2
42=3+3+3+3+3+3+3+3+3+3+3+3+3+3
42=1+1+1+…=40+2
である。
風にせよ、疫病にせよ、台風にせよ、地震にせよ、火山の噴火にせよ、人間が抗えない所に静かな落ち着きと生命の働きを感じる。
この自然に対する抗えなさに私の身体は落ち着きと喜びを感じる。
それは人為ではどうにもならない自然と生命へ同調することに身体が喜びと落ち着きを観てるからだろう。
何人か兵法武学研究会で『柔術とプロレスの技と技法から知る身体史』に関心ある人が居たら武学セミプライベート・クラス的に行ってみてもいいかと考えているが、普段から私と稽古研究している人の中で興味ある人いるかな?
正確には《PSYCHO-PASS》の世の中になりつつある中、一人一人の身体観が無自覚に harmony=ハーモニー化して行き、新たな虐殺の文法に全く抗体を持たないまま精妙な虐殺の文法だけが無自覚にも拡散され潜在しつつある。
続き⇒ 【Worstle Konst=レスリングの技術(芸術、技、芸)とシラットについて】
難しいのは植民地化を計った国が植民地とした土民達の技術技法を盗んで学んだなどと口が裂けても言わなかったろうし、研究したことはオランダ側の方からは語られないであろうことである。
その古流から近代へと移行する時に“ある事”が起きたと私は睨んでいる。その“ある事”がトランジッション・ピリオド(転換期、移行時期)に起きたことで、彼ら「古流柔術ベースの近代武道家」たちは世界に認められるだけの実力を持っていたとも言える。⇒