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当時の東アジア諸国の中で隋と明確な対立関係にあったのは高句麗だけでした。
そのため隋は高句麗を礼儀知らずの国と断じ、大遠征を実行。二度の失敗を乗り越え、三度目で遂に高句麗を譲歩させることに成功しましたが、続発する反乱を放置していたのが災いして手遅れになり、隋は618年に滅亡しました。
この戦いで、東晋(南)の数十倍の兵力を持ちながら大敗を喫した前秦(北)は支持を失い崩壊。その後は天下統一どころか南北分裂が固着化し、「南北朝時代」が到来します。
隋による天下統一は589年なので、東晋のまさかの逆転勝利は、中国の再統一をつごう200年以上遅らせることになったのでした。