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天平九年の疫病により藤原四子も三人目の武智麻呂まで犠牲者が出ました。二十三日に右大臣の病のために大赦を行っています。 年が違うとかはいえ旅人と同じ忌日ってなかなかの因縁だな…と毎年思う。
毎年推し同士の忌日こんなに近かったっけ??ってなってまあまあ慌てています。 (絵はとりあえず新規で描けた) 病床で詠まれた旅人最期のものとされる歌を今年も添えて。 指進の栗栖の小野の萩が花 散らむ時にし行きて手向けむ(巻六-970)
物部麻呂は最期まで大友皇子に従った忠誠が評価されたという優しい解釈も捨てがたい。 控えめにアッピールしてしまいますがやはり麻呂と大友の主従は妄想が捗るところですよね…8歳差わるくない…
三船忌日辺りからずっと描きたかったんだけど体調がよくならずで今頃になってしまった。 大友皇子系譜の池辺王(大友孫)&三船王(大友曾孫)父子。三船は全力で人見知りする子。顔はほぼ同じなのにキャラが突然変異気味。最近池辺王周辺をずっと考えてるので父子で描いてみたかったのでした。
慶雲四年七月十七日 天皇即位於大極殿。 阿閇皇女(元明天皇)が即位。 長いので割愛しますがこの日の元明天皇宣命の中に「近江大津宮御宇大倭根子天皇乃与天地共長与日月共遠不改常典止立賜比敷賜覇留法乎。」とあって「不改常典」の初出です。
あまりこの期間積極的に言わないようにしようと思ってるけど、いちおう高市と大友が仲良しな漫画を描いてるので、夜中にそっと推しておく 6歳差は…すごくいいですよね…
今日を無事乗り切った10月生まれさんは我が家のムニュマムのカエルでも見て和んで🐸
宝亀七年七月七日 參議正四位上陸奥按察使兼鎭守將軍勳三等大伴宿祢駿河麻呂卒。贈從三位。賻絁卅疋。布一百端。 結構推してる大伴駿河麻呂も七夕卒去。 白河天皇ももってるなって思ったけどやはりトリプル7の駿河麻呂のほうがもってるな。
思えばちょっと早く亡くなってるからって暗殺説出たり九州王朝説に担ぎ出されてたり息子が親王名義で木簡に記されてたからの即位説などなど、なんか大変だな高市… そして唯一の歌がアレのせいで(ry 説といえばこれまた多数ある大友との対比が見事だぜ
天武持統朝以降の近江朝の踏襲は色々ありますがこの太政大臣については状況と要素の違いはあるかもしれないけど、高市どんな気持ちだったのかしらと思わずにいられない。初代が大友皇子な以上半永久的に名前並びますよ…! 高市、四十越えるくらいで薨去なので最晩年でもヒゲ無しでいくことにした。