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桓武早良兄弟から入った身なので天智まで遡る前段階で志貴皇子の存在がありました。
万葉歌の印象が強いですが、逆にいうと事績の多い人物ではないですね。
芝基or施基or志紀の表記もあるけど個人的に「志貴」が好き。
お題「伊勢」で大来(大伯)皇女。
「天武天皇二年夏四月丙辰朔己巳、欲遣侍大來皇女于天照太神宮、而令居泊瀬齋宮。是、先潔身、稍近神之所也。」
#歴創版日本史ワンドロワンライ
「病気になった」という八月一日から二日での薨去。改めて見るとこの時期、夏の薨卒去多いな!と再認識しております。
このレベルの人物なのに薨伝はシンプルですね。
週末にちょっと時間をかけて不比等描きました。
この官人たちの衣服の乱れに関する太政官処分を見ると高校生かよみたいな気持ちになってほほえましいです
いつの時代も一緒ね…
これ読むとやっぱ開襟スタイルダメなんじゃん??
(ドラマ「大仏開眼」の藤原仲麻呂ね)
(昨夜急いで)忌日合わせで描いた武智麻呂と旅人、微妙に揃えてるから並べておいてみる。
この二人結構位階や官職で微妙に並んでますのでね…
歌も詩もない武智麻呂と、もはや歌人としての功績が一番になりそうな旅人は対照的ではある。