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天平応真仁正皇太后こと聖武天皇の皇后、光明皇后(藤原光明子)が崩御。元のイメージでは、大変な時期の聖武天皇を支えた慈愛に満ちた皇后でしたが、最近では走り出した聖武天皇のアクセルをギャンギャンにした人みたいなイメージになっています。あと強火の父不比等推し。
15号!!
ここ?ここからですか??ってぐらいの髪結&漆紗冠スタートです。正史の「はじめて」をもうあまり信用してもないのですが(多分色々なことが一斉スタートはしていない気がする)、公式にはこの辺りからこういうスタイルだったとみてよいのだと思います。 モデル:粟田殿
描かれると100%酒持ってる(飲んでる)李白 #このタグを見た人は黙って飲み物を持ったキャラを貼る
ちなみにこのあと巡察使解任→大宰少弐となりますが、同時に大宰少弐となったのが大伴家持。 どんな話したんだろうねえ… (絵が古いけど左から三船・石上宅嗣・家持) (特に仲が良いわけではなさそうだけど何かと縁があるトリオ)
天平神護二年に東山道巡察使となった淡海三船、道鏡政権下で道鏡と同族の弓削薩摩に手厳しかったとのことで逆に処罰されるとの勅。そもそも下野国司が不正してるし、三船悪いんかな??って感じですがそこんとこうまくやれなかった辺りが三船だな~って感じです。好きです。
坊主最推しの伝教大師最澄様の忌日です。 初期の天台宗面子が好きで坊主ばかり描いてた時期があったんじゃよ…。 (とはいえ坊主ばかりで描き分けるむずかしさに直面してあまりキャラ増えていない)
長親王、母は天智皇女の大江皇女。なんか言おうとして葛野王にメッされた弟の弓削皇子のほうが色々印象が強いのですが、弟への歌があるのポイント高いですね。 長親王も有力な皇嗣候補だったのでこの方の薨去を待って氷高内親王が即位したという話を伺ってなるほどと思ったことが。
大伴馬来田は吹負と共に壬申の乱で大海人皇子側についた人ですが… 吹負と違って壬申紀での動向まったくわからないのにこの薨去記事だと手厚いんですよね。大海人の傍に居たのではないかという説があるようです。 吹負の卒去記事は「吹負卒したので壬申年の功で位贈るね(終了)」だけです。もっと驚け。
そのDAYONEおいくらまんえんなの #光る君絵 #光る君へ