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天平度の遣唐使で、長期で広範囲に漂流し生還したことで知られる第三船に乗っていた判官平群広成が帰京。天平五年に出発してますのでその間の日本の動静を考えるとなかなかの浦島状態だったでしょうね。 阿倍仲麻呂の尽力で帰国できたことも重要です。 (再掲絵)
ちょっと忘れてたけど天平十二年では藤原広嗣の乱が続いてるわけですが、ここにきて(印象としては)突然の聖武の東国行幸が始まります。いわゆる彷徨五年のスタート。多分前から準備してたし大事だったんだろうねとは思うけど、この勅があるのが逆に面白い。 さすがわれらが聖武天皇。
太郎描いた。 目線的にこの間の実朝絵と対です。 太郎、朴念仁に見えて実は分かってる解釈も結構あったけど、私はやっぱり分かってない朴念仁派です。 #鎌倉殿の13人 #鎌倉絵 #殿絵
#霜降 今回は太白さんで。
再放送で3度目のしんどいしんどいしながら実朝再チャレンジ。 これは太郎に「そんなことはございません」言われてにっこりする実朝(を見ながら) 歌渡すところまでは楽しそうでいいな… #鎌倉殿の13人 #鎌倉絵 #殿絵
昨日は吉備朝臣爆誕デーでしたが、十月二十日は吉備真備が右大臣に任命された日、つまり吉備大臣爆誕デーです。 同日に道鏡が法王に、藤原永手が左大臣になっており、道鏡政権メンバーが確定。 (真備だけらくがきした)
吉備真備爆誕デーです。 当たり前のように吉備朝臣イメージだけどこの賜姓は真備五十二歳の時なので下道朝臣時代のほうが長いんですよね。 (若い頃を描くと必然的に下道朝臣になってしまうので年相応のつもりの吉備朝臣真備絵再掲)
天平勝宝の遣唐大使藤原清河(どうやらもう河清)、阿倍仲麻呂と共に漂流して長安に逆戻りしたことが日本に伝わってお迎えする遣唐使が遣わされたものの、目下安史の乱勃発中の唐から帰国することが叶いませんでしたの報告。かわいそう…
十月十七日は一説に早良親王の忌日です。 (十月七日説もある) 醍醐寺本『諸寺縁起集』所収「両処記文」や『新撰年中行事』『大鏡』『大安寺年中行事次第法式』などが崇道天皇の国忌を十月十七日としています。 (人物叢書『早良親王』参考)
同日同内容で病床の天智天皇から皇位を継ぐよう言われた大海人皇子が辞退して出家する記事ですが、天智紀と天武紀で微妙に記述が違います。特に天武紀は蘇我安麻呂が大海人にアドバイスしたりしてて全体的に大海人の行動に正当性を持たせてる感ありますね。 #壬申の乱2022 (実質は壬申の乱2023)