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前世の記憶
考えるほどに不思議な話。
文政5年(1822)のこと、前世の記憶をもつ8歳の少年が現れた。現八王子市にあった中野村の勝五郎だ。
のちに国学者の平田篤胤が調査した。
それは、突然に始まる。おかしなことを兄弟に聞き始めた。
「おまえはもと何処の誰が子にてこちの家へ生まれきたる」
九品仏と鷺草
九品仏浄真寺。好きなお寺さん。世田谷にある。
感覚的に江戸っぽくない。趣が深い。
昔はもっと知られた寺だったはず。東急線の自由が丘駅は旧称九品仏駅だが、開業前は九品仏前駅を予定した。
境内の阿弥陀堂では3m近い9体の阿弥陀如来が異なる印を結ぶ。
何か「存在」を感じる。
晩年の国芳の自画像、やはり猫に囲まれている。
いや、着ているドテラの派手派手しさよ! 地獄の閻魔に鬼‼︎ 粋な江戸のジジイ…。
美人画の猫はいただいた魚に手を伸ばそうとしている。
あて字の猫は「かつを」と「ふぐ」。
猫で魚の文字を描いてみよう!
その猫愛、いや猫脳がスゴイ。
飼い猫「黒」が死ぬと戒名をつけるために弟子に遺骨を抱かせ、坊主のもとに使いにやった話がある。
なまづと猫で「なまづ」のあて字を描いたり、得意の擬人化で猫を遊ばせて。
国芳の猫の絵からは「好き」が溢れてこぼれてくる。
国芳の塾に通った河鍋暁斎が後に描いた国芳先生。その懐には…。
桜井勘十郎
縞(しま)人間。
「縞のない物なんて、気持ち悪くてぞくぞくしまんね」
何もかもが縞模様の人。他人から見れば縞だらけの勘十郎のほうがおかしい。
元禄年間(1688〜1703)、京都室町にいた。
その噂が江戸の滝沢馬琴に届いたか、『兎園小説』に勘十郎のことを記している。
さて、金を盗んだ男。
思慮が浅いのか、逃げた先が岡場所の女郎宿。羽振り良く振る舞うものだから、岡っ引きの耳にでも入ったか捕らえられた。
興味深いのは、その間に山東京伝が訴えを起こさなかったこと。
50万円と人の命だ。死罪になれば後味が悪い。
だが、男は厳しい尋問に白状した。
東大赤門は加賀藩前田家上屋敷の門だった。あの広い敷地は大名屋敷の名残り。
「金魚坂」は前田家に金魚を納めていたそう。鑑賞用に。
殿の毒見にも用いられたと「金魚坂」の女将が語る記事をどこかで読んだ。
歌川国芳の名作『金魚づくし』。金魚くんたちは纏を持ったり、いかだに乗って賑やかだ。
猫話に引っ張られ、今日は猫で終わります。
鼠捕りとしての猫も飼っていれば可愛いわけで、ペットとして猫を飼う人が徐々に増えていった江戸時代。
鼠の害に悩み、猫が飼えない人は猫の絵を護符とした。
猫好きの浮世絵師に国芳がいて、猫を懐に抱いて絵を描き、猫が死ねば仏壇を作った。
想像力に溢れた迫力の絵もたくさん。
武者絵の躍動と力みなぎる、常識を覆す描写法は、現代漫画、アニメの表現技法に繋がりそう。
1枚目はサイズ感が際立つ『鯨退治の宮本武蔵』。
2枚目は『水滸伝』からの水中での息を呑む格闘。
3枚目にいたっては、どんな効果音を入れようか悩む漫画の世界…。
この殿様、自然に生きる比較的小さな生き物が好きだったのか、鳥類をまとめた『百鳥図』を描いている。
江戸時代の殿様は、人生の大半を江戸で過ごす。雪斎は巣鴨に暮らしていた。
こんな写生に情熱を傾けているから、藩政における評価は低いが、文人としては尊敬されていた。
江戸期のよいところ。