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「若おかみ」のラストで見落とされがちなのが「翔太」の存在
あかね、グローリーさん、翔太の三人はおっこの現在、未来、過去を象徴してるというのは公式見解だけど
なぜか皆さん(というかある意味当然だけど)父親の文太のほうに注視される。
二話。異星の敵の目的が魔界樹とかいうヘンな枯れそうな樹のためにエナジー集めることと判明。
これはテイルズオブファンタジアのダオスと似たようなもんだなー
ていうかこの魔界樹編はよりわかりやすいけど、この時代は「エネルギー争奪戦」という対立構造が多い
エネルギー危機が背景にあるんだろう
空間表現のパースもお見事…無駄に手間のかかる坂道、車を配置した大きさの対比は香川さんのまこちゃん初登場回を思い出す。
俯瞰もお上手だし、バストアップで背後に映り込む望遠的背景も地味に上手い。
この覗き見のシーンも距離感がかなり適確。
こう見るとやはり全然構えが違うw
香川さんはカンフー映画を参考にされてたらしいですね。
鳥山先生もジャッキー映画などを参考にされてたと聞いたことがあるからそれでポーズが似通ってるのだろう。
今作の幽霊達はおっこの具体的な助けになることはない。
クライマックスで泣きじゃくるおっこを抱きとめたのは、ウリ坊ではなく生者のグローリーさんです。この時おっこはウリ坊の存在すら感知出来ていない。
これは明確に「幽霊がおっこを助ける話ではない」という意思表示に見えます。
「セーラームーン」単独の考察はここまで。
作品理解には、他の作品との比較検証が有効なのでここからは私が個人的に思い入れのある作品をサブテキストとして参照し、もう少し読みを深めたいと思う。
参照するのは今川泰広監督の「七人のナナ」という作品だ。
あくまで仕事上の関係で、お互いに自分の良い面しか見せてなかった二人が、正体を曝け出し合う
あなたの知ってる飾り付けた普段の私は、本当はこんな奴ですと明かす覚悟が必要になる
憧れの異性の本性を知る、本当の自分を見せるというのは少女が大人になるための通過儀礼的意味合いを含んでいると思う