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【317】リュックを背負って斜面をのぼるウルスラを、背後から押してやるキキ。
運動の重みを感じさせる『作用と反作用の視せ方』ですね。
押すキキの力感だけでなく、押されて背を反らすウルスラの造形も細かい。
単に重そうだから押しているのでなく、『愛情表現』として行っているニュアンスも。
【313】憂いを帯びて放心してしまうキキに対して、ポジティブな面へ・現実へと引き込んでくれるウルスラ。キキの表情の変化がいいですね。
こういう『現実救済』がドラマとしては安易なのですが、虚構と割り切って接するべきでしょうね。この安易さを現実に求めると『ジブリ病』はつらくなる。
【302】ウルスラの家に行くことになったキキ。お留守番のジジが恋人のもとへ。
ここ【屋根が中間】になって【手前・中間・奥】の3層構造になっていますね。ジジが奥にいて、恋人が手前側にいます。空間処理がいちいち巧みですね。
【301】ここから『てにをは』を再開するのは正直きびしい。心理の綾がものをいう、ウルスラとのシーン。
しかしウルスラの凸凹した野暮ったいシルエットは『耳をすませば』のキャラに通じるものがあるように思うのです。まあ宿題ですね、この件は。
【アニメてにをは。魔女の宅急便~その12】
【300~3】高畑さんと宮崎さんのどっちが優れているかとか、そういう『優劣の話』ではなくて、単純に『資質の違い』として思います。
でもあえて宮崎さんのこのシーンを悪く言うなら、『ご都合主義』っぽいよな、とは思いますね。
【アニメてにをは。魔女の宅急便~その12】
【300】魔法が消えかけ/弱くなって、気持ちが沈み込んでいたキキのもとへウルスラが現れる。
ドラマ展開は見事ですが、こう『都合よく・救いの手がさしのべられる』のはあくまで『ドラマとしての効率性』なのは仕方ないですね。ファンタジーなんです。