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1848年6月26日、ブルジョア共和派軍人カヴェニャック将軍が、国立作業場閉鎖に抗議する労働者の反乱を鎮圧し、パリの六月蜂起が終結。1500人が殺害、1万5千人が政治犯としてアルジェリアに追放された。蜂起は失敗したが、労働者階級による史上初の本格的決起に位置付けられている。
1866年6月15日、プロイセン王国がオーストリア帝国に宣戦布告、普墺戦争が開戦。8月にプロイセンが勝利してドイツ統一の主導権を掌握。ドイツ連邦は解体し、オーストリアを排除した北ドイツ連邦が成立。敗れたオーストリアはハンガリーとの二重帝国を結成する。
1221年6月5日、承久の乱。後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時の討伐を掲げ、1700の騎兵を率いて挙兵。北条家は鎌倉幕府全体への敵対と喧伝して東国御家人たちの動員に成功、京都に攻め上って勝利する。天皇家に対する武家政権の優位を名実ともに決定づけた。
1819年5月23日、シモン・ボリバル率いる独立革命軍がカラカス攻略作戦を変更、アンデス越え作戦を開始。多数の死者を出しながらスペイン軍の裏を衝き、ヌエバ・グラナダへ進撃。8月のボヤカの戦いで勝利し、ボゴタ再入城を果たした。
1701年5月15日、スペインハプスブルグ家断絶に端を発し、ブルボン家のフェリペ5世即位に反発する英蘭墺の対仏大同盟がフランスに宣戦布告、スペイン継承戦争が勃発。欧州を二分する戦争に発展し、米大陸をめぐるアン女王戦争にも波及。その後百年にわたる英仏植民地戦争の開始を告げる号砲でもあった。
1949年4月24日、中国人民解放軍35軍104師312団が南京の中華民国総統府を占領。21日から開始された渡江戦役の過程で国民党軍の艦隊や要塞が続々と共産党側に寝返り防衛線は崩壊、大した抵抗もなく南京は陥落した。蒋介石は焦土作戦を命じながら敗走を重ね、6月2日までに上海・浙江全域が解放された。
1409年3月25日、教会大分裂(大シスマ)の事態収拾のためピサ公会議が開会。分裂したローマ・アヴィニョン双方の枢機卿を招集、グレゴリウス12世とベネディクトゥス13世の廃位を決め、アレクサンデル5世を選出したが、両教皇は拒否し会議をボイコット。ついに3人の教皇が鼎立、むしろ事態は悪化した。