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法の抜け目というものは いかなる時代にも存在する
RPGツクールXPに見覚えがないと思ったら、当時夢中になっていたのはRPGツクール2000だった。おれの青春
原理的には人間が行っている(最終的なキャンバスに現れる)表現の操作は視覚像として構成可能なはずとはわかりつつも、画像生成AIはやはり言語的理解とセットになっているという点が興味深く「動きのあるスケッチ」を指定すると斜線やハッチングでそれを表現するという抽象的理解が飛び出てきて凄まじい
久々に画像生成AI定点観測 線をつなげるのが苦手、という初期の欠落はある程度解消され、キャラクターイラストを構成する髪の毛など人体の基本要素は上手に誤魔化せるようになってきた印象。解像度が向上した世代にモデルが移行しディテールの技巧的操作が言語として活用されはじめているようにみえる
だから、個人的には、人間の模倣をより上手にできるようになっていくことに退屈さを感じる。表現なのだから、手なんて指が何本あっても良いわけだし「人間が描かれている」という"それらしさ"や特徴だけがあっても良いかもしれない。そういう新しい視点を齎してくれることこそが道具の価値だと思う。
いままでほしかったものはこれだったような気がする そういうものが提供され続ける営みが成立している おそらく過去にも未来にも自分にこれを提供してくれる人はどこにもいないから画像生成AIが存在してはじめて起こったことのように思う
たまには「好きな感じの印象の画をGenerativeAIに出してもらうだけ」をしてみる
本年の業務を無事納めることに成功しました。みなさま今年もたくさんの出会いと出来事、そして創造性をありがとうございました。いいかい学生さん、年末年始は休む
ホッホッホー
お、お情…!(ガタッ)(DVDドライブを発掘しに向かう)