櫛野展正さんのプロフィール画像

櫛野展正さんのイラストまとめ


アウトサイダーアートを紹介しています。日本唯一のアウトサイダー・キュレーター。アウトサイダーアートを扱う「クシノテラス」主宰。現在は、静岡県にある「アーツカウンシルしずおか」のチーフプログラム・ディレクター。京都芸術大学大学院芸術専攻修士課程修了(MFA)。研究テーマは高齢者の芸術表現「超老芸術」。
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シルヴァン・ファスコは20歳のとき、過失致死傷罪により2年間投獄された。
出所後、懲罰部隊に入隊したが緘黙症となり、27歳で精神病院に収容される。
5年後、独房の壁を彫り、石で落書きをするようになった。その後、画材を与えられ、裸の女性たちを熱狂的に描いたが、栄養失調のため37歳で死亡した。

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高校の美術教師だったベラ・ゼイフトは、20代から作品発表を始めたが、美術業界からは阻害されていた。やがてアルコール依存症になり、全てを失い、残りの人生のほとんどを路上で過ごすことを余儀なくされた。蚤の市で芸術作品を制作するようになり、コレクターたちがは積極的にその作品を追い求めた。

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ブッシュ元米大統領は大統領就任後、英国首相チャーチルの著作 『趣味としての絵画』を読んで絵を描き始めた。
人物や犬、プーチンやトニー・ブレアなど世界の指導者の自画像や肖像画も描いている。2017年には、退役軍人の肖像画集を出版。2019年には、韓国の盧武鉉元大統領の家族へ肖像画を贈った。

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ユージン・フォン・ブルーエンヘンハインは、30代から自宅で妻の写真を撮り始め、ステージを自作し、10年後に妻の写真は数千枚に達していた。その後、油絵の具を指で塗って絵を描くようになり、冷戦中の50年代には、核攻撃への恐怖心を絵で表現した。晩年は鶏の骨を再利用して塔や椅子を制作していた。

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電気技師見習、鉄道員など職を転々としたルボシュ・プルニーは、28歳からチェコ芸術大学でモデルを勤める。統合失調症の診断を受けたことで、精神医学に興味を抱く。幼少より絵と解剖に強い関心を持ち、身体をテーマに作品を制作を始めた。インクのほか、血液、毛髪、皮膚などを用いられることもある。

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誰に見せることもなく半世紀以上もの間、たった一人で1万5000ページもの物語を描いていたヘンリー・ダーガーは、死後アパートの大家であるネイサン・ラーナーによって作品が発見され、一躍有名になった。
しかし現在、ダーガーの遠い親戚達は、ラーナー夫妻を著作権侵害等の不正行為で訴えている。

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ブルース・ミュージシャンだったヘンリー・スペラーは、日雇い労働者として働いていた。70代から絵を描き、何百枚もの絵を玄関先に飾るようになった。交通機関や家や教会、特に大きな胸と長い髪、露出した性器が特徴的な白人女性をよく描いていたことで知られている。生涯に渡り、数千枚の絵を描いた。

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中川尚也は、誰に見せるわけでもなく、小学校4年ごろからコピー用紙などを使って好きなアニメのキャラクターの着せ替え紙人形を作っている。紙人形は全裸にすることが可能で、頭部まで付け替えることが出来るものあるなど、細部に至るまで精巧に再現している。
これまでに数千体を制作している。

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科学を学び、土木工学の技術補助の学位を取得したジャン・ペルドリゼは、発明家を自称し、20代後半から幽霊や宇宙人と接触するための機械の設計図を作成。世界共通語「T言語」 も発明した。
ノーベル賞受賞を目指してNASA、CNRS、スウェーデン王立科学アカデミーに制作物を送り、人々の注目を集めた。

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ポール・ハンフリーは、高校卒業後、軍隊や建設局での仕事を経て、40歳からタクシー会社などで働いた。57歳の時、心臓発作で退職。退役軍人の年金と空き缶回収の仕事で生計を立ててながら、68歳で他界するまで「眠る女性たち」の絵を毎日描き続けた。他界後、人生の多くは創作であったことが判明した。

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