河鍋暁斎とその時代を生きた絵師たち 美術ファンの集いさんのプロフィール画像

河鍋暁斎とその時代を生きた絵師たち 美術ファンの集いさんのイラストまとめ


本アカウントは設定当初より河鍋暁斎、その娘の河鍋暁翠の絵師としての力量を広く社会に発信しようという考えのもと、個人が運営しています。なお、河鍋暁斎記念美術館所蔵作品等の画像掲載について同美術館にご協力をいただいております。

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最近の刀剣ブームの影響か も大人気。百鬼夜行はその昔、出くわしたらと死ぬと言われる程恐ろしく、「自分は酒に酔っている」という意味の呪文までまことしやかに出回っていた。暁斎の百鬼夜行はボッシュかスターウォーズの世界。道であっても怖くない。#高崎市タワー美術館

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は暁斎が常に愛した古い器物に宿る付喪神の姿。付喪神を恐れた当時の人々は毎年古いお道具を捨てすす払いをしたという。百鬼夜行図は、どこかヒエロニムスボッシュンの世界と似たところがあり、共通のキャラクターが出てきそう。暁斎×暁翠 

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30代半ばの暁斎は信州を旅し天照大神が身を隠した洞窟があったという戸隠山に登る。九頭竜伝説でも知らせる峰ごとの社を訪ね素戔嗚尊の九頭龍退治図を描き上げた。嵐が吹きすさぶ中、松明を持って九頭竜を退治する素戔嗚尊の姿には神々に対する畏敬の念が表れている。暁斎×暁翠

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暁斎は万延元年(1860年)と明治14年(1881年)に を出版。その中から乳飲み子に怖がられないよう、必死に笑いを取ろうとする仁王の姿を!仁王様もご苦労があったようだが、絵を学ぶものはユーモアも学べた?暁斎らしい教則本。暁斎×暁翠 

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は伝説上の生き物で赤頭の猩々が歌舞音曲、指相撲などの娯楽を楽しむ様子を描いた暁翠の力作。ここかしこで大きな盃を飲み干し、どうやら酒に浮かれている様子。暁翠は得意の透明感あふれる色使いで遠近感を出しながら百を超える猩々の様子を表現豊かに描いた。暁斎×暁翠

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は1855年安政江戸大地震の翌日に仮名垣魯文が文章を考え暁斎が絵を付けて発行。鯰絵大流行の先駆けとなった作品。鯰が地震を知らせるという「都市伝説」を背景か、地震発生後には数千枚売れたという。24歳の暁斎、苦難の時代の転機となる出来事だった。暁斎×暁翠#高崎市タワー美術館

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一人娘、吉(河鍋楠美館長の母)の母でもあった暁翠の子どもへの観察眼は鋭く、描写も卓越した技術を示す。左手の赤子の笑顔と活き活きとした描写は女流絵師ならではのもの。#五節句之内 花月(3月の意味) は の様子。床のエキゾチックな柄につい目が行く。暁斎×暁翠

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五節句とは、江戸時代の公式祝日であり、上司、師匠に挨拶に行く習慣もあった。暁翠は 菊月(九月)で庭の菊をめでる女性たち、猫と戯れる子どもの姿など、9月9日の重陽の節句を過ごす人々を描く。江戸時代には菊花を浸した菊酒で長寿を祈ったという。暁斎×暁翠

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モデルは源氏物語の若菜上の女三宮。簾の向こうでものうげに頬杖をついて毛づくろいをする猫を見る美人。はだけた着物と赤い蹴出しからちらりと見える白い足。暁斎が卓越したデッサン力を発揮した、けだるさを出しながらも崩れることない名作。#横たわる美人に猫図 暁斎×暁翠

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も参加した は大都市 のイベント。作品は床に広げられ、天井からも下がる。暁斎は「ちょっとまった!」と左手を広げ、多くの人々からの注文をさばく。速筆の暁斎は書画会で大人気。ここに描かれている暁斎はメガネをかけている。#没後130年河鍋暁斎 

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