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聖書講読の午後。若い友ひとりを相手にする静謐な時間が過ぎた。
現代の国々に呼びかける言葉がある。
「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。 彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。 国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」。(『イザヤ書』2章4節)
聖書講読の午後。若いひとりの友と「イザヤ書」を読み進める。「コヘレト」「雅歌」につづく「イザヤ書」から<預言書>がはじまる。
42:01 見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。
聖書講読の午後。ひとりの若い友と読み進める。今日から旧約聖書の「雅歌」。Song of Songs。歌のなかの最高の歌。「ソロモンの雅歌。どうかあの方が、その口のくちづけをもってわたしにくちづけしてくださるように」と始まるので「ソロモンの雅歌」と呼ばれ、ソロモン王の作であるとされる。
ある集まりで印象派を代表する画家、クロード・モネの話をした。1874年、第1回印象派展を開催。モネの出品作のひとつである《印象、日の出》が同展の名の由来になった。当時はまったく人びとに受け入れられず、売れるどころか、強い拒否反応すら起こさせた。ところが「印象派」は時代を席捲していく。
LPレコードを友らと聴いた。
ジョージ・セル指揮/クリーヴランド管のヴァーグナー「ニーベルンクの指環」ハイライト。ほかの楽曲にも
楽譜の隅々にまで光に照射されたような演奏。厳しさのなかから、思いもかけない対旋律が浮かびあがる。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』は異様なまでの美しさをはらんだ傑作だ。あとからあとから想像力がぶっ飛んで、展開は予想を超えてふくらんでいく。ジョバンニの孤独とさびしさ。カンパネルラと「どこまでもいっしょに行こう」と友情をたしかめあったあとの、友を失う喪失。岩波文庫版(谷川徹三編)で。
久しぶりに映画館で映画を見た。2週連続で『るろうに剣心』の最終の2作品。10年がかりの大作をしめくくるにふさわしい作品になった。最上級のアクション・エンターテインメントにして、人間の心の物語が織りなされていく。
「埴谷雄高作品集2」(河出書房新社)。『不合理ゆえに吾信ず』。思索する人が言葉を凝結させると詩になる。若い詩人として歩みはじめていたとき、この作品は神のような作品だった。「薔薇、屈辱、自同律――つづめて云えば、俺はこれだけ」。写真は1991年10月の「小田実出版祝賀会」で撮ったもの。
夜半のCD。「ロリン・マゼール~ドイツ・グラモフォン初期録音全集」。メンデルスゾーン「イタリア」「宗教改革」は両曲のいちばん好きな演奏だ。ラヴェルの「子供と魔法」もすばらしい。これ以上の演奏があるのか。ブリテン「青少年のための管弦楽入門」はマゼール自身の英語のナレーションがいい。
古書店でみつけたシェイクスピアの原書は、ケニー・メドウズが挿絵を入れた豪華本2冊。1880年前後に出た全集は6冊本。挿絵は厚紙で丁寧に刷られている。1冊は悲劇もう1冊は「史劇」と「詩」。シェイクスピアはいまも新しい。わくわくしながらページをめくる。覚えている台詞がある。