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承前)キリシタン遺物史料館には「あけずの櫃」から封印を解かれた「聖フランシスコ・ザビエル像」や「木製キリスト磔刑像」など宝物が出てきた。午後は高槻へ行き、カトリック高槻教会へ。お聖堂に入れば夕方の光。入り口左手には福者・高山右近の像があった。きりりとした顔立ちだった。
承前)20世紀初頭に「パリのショパン」から「ポーランドのショパン」に奪還したのがパデレフスキだった。ショパンが世界に広まったのは、パデレフスキとパハマンらが録音したSPレコードの功績が大きい。
台風19号が過ぎた夕方は美しい夕映えに照らされた。
阪神淡路大震災は早朝に起きた。家が壊れていた。芦屋の街が壊された。開いている店もない。力が出ない。帰宅して家族と家のなかをかたづけてるときりがなかった。
夕方、外へ出た。空の美しさに驚いた。なんという美しい夕焼けだったことか!
10月4日はアッシジの聖フランシスコ(1182‐1226)の祝日。彼を描くゼフィレッリ監督の映画「ブラザーサン・シスタームーン」はドノヴァンが歌う主題歌もすばらしく何度も見た。精神史家の先達、林達夫が彼への愛を書いていたこともあり、カトリックの聖人のなかでいちばん身近に感じられる人になった。
承前)夭折の芸術家にはかぎりない共感を覚える。彼らに比べればはるかに長生きした鴨井玲が特別な画家だった。いや、ほかにもたくさんいた。松本竣介とか中村彝とか。佐伯祐三にも親しさを感じた。若い人間の直感の表現。関根正二は噴きだしてくる表現を永遠の時間に結晶させた。
すばらしい絵。しばらくは見入っていた。朝日新聞10月1日付夕刊、大西若人さん(編集委員)の紹介記事。関根正二(1899-1919)の「少年」は自画像だろう。はたちで夭折した画家は「信仰の悲しみ」で名高い。高校生の頃に図書館で片っ端から画集を見ていた。村山槐多と関根正二は特別な存在だった。
<美しき緑の星>には、こんなにかわいくて逞しい小さな木も生える。「姫クチナシ」は昨日対話を交わした友が持ってきてくれた小さなもの。植木鉢ともいえない可憐な植物だ。植物に前世があるかどうかは知らない。しかし人間には前世がある。何人かいる友と話を交わすとき、ときどきそのことを感じる。
承前)阪神淡路大震災では破局に見舞われた。そして書評中段にあるように「市民運動が国会や国を動かし、前例のない『被災者生活再建支援法』が成立するまで」の、その市民運動を小田実さんを代表に立てて展開した。拙著『自録「市民立法」』(藤原書店)はお読みになっただろうか。
承前ナチスドイツの闇に覆われた時代と、これら4曲のフルトヴェングラーの解釈と演奏について話した。いずれも彼ならではの解釈がある。戦前、戦中、戦後を通じてフルトヴェングラーは彼自身をねじまげなかった。