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「埴谷雄高作品集2」(河出書房新社)。『不合理ゆえに吾信ず』。思索する人が言葉を凝結させると詩になる。若い詩人として歩みはじめていたとき、この作品は神のような作品だった。「薔薇、屈辱、自同律――つづめて云えば、俺はこれだけ」。写真は1991年10月の「小田実出版祝賀会」で撮ったもの。
夜半のCD。「ロリン・マゼール~ドイツ・グラモフォン初期録音全集」。メンデルスゾーン「イタリア」「宗教改革」は両曲のいちばん好きな演奏だ。ラヴェルの「子供と魔法」もすばらしい。これ以上の演奏があるのか。ブリテン「青少年のための管弦楽入門」はマゼール自身の英語のナレーションがいい。
駅前へ出て用事をすませたら、不意に頭のなかをピアノの響きが流れだした。地下へ降りて食料品を見てると、また同じ音楽。えーっと! これはベートーヴェンのソナタで何番だったかな。。帰宅中、1番から思いだしていって、途中飛ばして(笑 24番「テレーゼ」の正解にたどりついた。
カール・ベーム指揮/シュターツカペレ・ドレスデンのSPレコードを聴いた。ベートーヴェン「エグモント」序曲。1935年録音。若いときの演奏の美質はいくら年齢を重ねても失われることがない。ベームの場合は1960年代後半がすばらしかった。有無を言わせない力にみなぎっていた。
5月7日はチャイコフスキーとブラームスの誕生日。チャイコフスキーは普段はあまり聴かない。しかし、聴けばやはり音楽の歴史に彼がいなければ淋しいと思う。
「悲愴」はいまでも大傑作だと思う。最初に刻印をきざんでくれたムラヴィンスキー盤を今夜は。
今日は晴れて気も澄みきり、山を仰ぐ景色が美しかった。LPレコードを友らとともに楽しむ午後。クレンペラー指揮のベートーヴェンの2回目。「交響曲第7番」と「序曲」数曲。みな黙ってスピーカーの音に耳を傾けて。この時間を続けたい。
『マクベス』はシェイクスピアの四大悲劇のひとつで、最後に書かれた作品だ。シェイクスピアは悲劇を通じて人間の悪を掘り下げた。『マクベス』は人間の世界を人間の世界として描く。彼は悪が悪である人生を生きる。王位に就くために王を殺す。
古書店でみつけたシェイクスピアの原書は、ケニー・メドウズが挿絵を入れた豪華本2冊。1880年前後に出た全集は6冊本。挿絵は厚紙で丁寧に刷られている。1冊は悲劇もう1冊は「史劇」と「詩」。シェイクスピアはいまも新しい。わくわくしながらページをめくる。覚えている台詞がある。
ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」の新盤。ルネ・ヤーコプスはカウンターテナーの歌手だった。だから声楽を大切にする。総奏部分の迫力たるや凄まじいものがあるが、ソリスト4人の絡みはどの盤よりも繊細に聴かせるし、ソロ・ヴァイオリンがあるベネディクトゥスでも合唱が優位にある。これでいい。
音楽の若い友と時間を過ごした。バルトークを基点に20世紀の音楽を歩いてきた。日本の作曲家も聴いてきたので、この旅はおもしろくてしかたがない。シェーンベルクの「モーゼとアロン」を1954年の初演ライブ録音のロスバウト盤。同「弦楽四重奏曲第2番」をラサール四重奏団で。