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岡田峰幸さんのイラストまとめ


福島県在住の歴史家。紙芝居を使った歴史講座を各地で開催。〝読む紙芝居〟という冊子も発行中。
主な著書「勇名馳せずとも」「会津と伊達のはざまで」
連載「福島リビング新聞」「政経東北」

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【連載】#政経東北 最新号が発売。私のコラムは南北朝時代の福島県会津地方について。時の領主・葦名盛員は鎌倉に居住し、会津は弟の行信に任せていました。中先代の乱で盛員が討死すると、妻の笹谷御前が鎌倉から会津へ移住。義弟・行信の協力を得ながら嫡男の葦名直盛を育て上げました。#イラスト

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本日は郡山市日本史謎解き会からの講師依頼。福島県南相馬市の戦国大名・相馬義胤について で解説しました。小高区の村上城が焼失すると、義胤は原町区の牛越に城を移転。そして牛越城を築いている途中で関ヶ原合戦が勃発しました。石田三成と懇意だった義胤は中立を決断します。#イラスト

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本日は、来年度の歴史講座の打合せ。戊辰戦争をテーマにすることとなり過去の を再編集しています。1868年1月、明治政府が会津藩の討伐を宣言。奥羽諸藩に敵か味方か問い質すと、ほとんどの藩が明治政府に恭順。すると政府は「奥羽諸藩に会津を討たせよう」と考えました。#イラスト

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福島県郡山駅の西口に戦国時代の郡山城がありました。この城をめぐり佐竹義重ら連合軍と伊達政宗が戦っています。1ヶ月にわたる睨み合いの末、両軍は逢瀬川をはさんで激突。戦場となったのは下の画像、東部幹線という道路が川を渡るあたりと推定されています。#紙芝居

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【1月の講座案内】7日と21日の2回、郡山市麓山の杜にて による歴史講座『#直江兼続』を開催します。時間は両日とも午前10時より。入場料8百円。2023年は と関わりがあった福島県ゆかりの武将をシリーズで紹介。初回は直江兼続が構想した〝幻の白河決戦〟を検証します。#イラスト

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本日は郡山市大成公民館からの講師依頼。『福島県郡山市の戊辰戦争』について で解説しました。江戸時代は宿場町だった郡山。戊辰の戦火により町の8割が焼失しました。が、明治政府や地方行政に復興支援の余裕はありません。そのため町人たちは自力で町を再建しました。#イラスト

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本日は須賀川ロータリークラブからの講師依頼。『鎌倉幕府と福島県須賀川市』について で解説しました。鎌倉時代の須賀川は岩瀬郡の一部。和田胤長の流刑地です。大河ドラマに登場したこともあり胤長が流罪になった経緯、妻の天留に関する伝説などを紹介してきました。#イラスト

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に「沼二つ 通は鳥の巣 あが心 ふた行くなもと なよ思はりそね」という一首があります。「二つの巣に通う雄の鳥とは違って私が通うのは貴女のもとだけ」という意味。この和歌に詠まれた沼とは福島県広野町の〝二ツ沼〟と推定されており、現地には歌碑が立っています。#紙芝居

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本日、郡山市麓山の杜にて による歴史講座『川俣の小手姫伝説』を開催。飛鳥時代の福島県川俣町に絹織を伝えたとされる小手姫。崇峻天皇の妃と同一視されています。崇峻が蘇我氏に暗殺されると、その子・蜂子皇子が出羽国へ逃亡。小手姫は我が子と再会すべく奥州にやって来たとか。#イラスト

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本日は郡山市朝日ヶ丘小学校からの講師依頼。『#安積疏水』について で解説しました。明治5年、福島県令の安場保和が安積開拓を発案。現場の責任者に中條政恒を任命します。中條は米沢藩士だった頃に蝦夷開拓を夢見ており〝夢の再現〟として安積開拓に情熱を注ぐことになりました。#イラスト

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