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岡田峰幸さんのイラストまとめ


福島県在住の歴史家。紙芝居を使った歴史講座を各地で開催。〝読む紙芝居〟という冊子も発行中。
主な著書「勇名馳せずとも」「会津と伊達のはざまで」
連載「福島リビング新聞」「政経東北」

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明日は『二本松 』について講演します。本日は講座で使用する の最終チェック。二本松に霞ヶ城を築いたのは畠山氏。足利尊氏から奥州探題に任じられた畠山国氏は当初、岩切城(仙台市)を拠点とします。が、吉良貞家と戦い敗死。国氏の子・国詮が二本松に落ち延びてきました。#イラスト

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本日、福島県田村市で『あぶくま洞祭』が開催される予定でしたが雨天のため中止となりました。残念。明日は開催されるそうなので皆様よろしければ。明日は12:45より紙芝居『田村の大多鬼丸物語』が上演されます。語り手の若者たちが情感たっぷりに語ってくれますよ(^^)

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本日は郡山市薫公民館からの講師依頼。『鎌倉時代の福島県郡山市』について で解説しました。この時代の郡山で が発祥したとされています。オスのおしどりを射殺した男と、オスを失ったメスにまつわる民話。全国各地に伝わっていますが市内の中田町赤沼もその一つ。#イラスト

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本日は郡山市あさかの学園大OB会からの講師依頼。『鎌倉幕府と福島県郡山市』について で解説しました。この時代に伊豆から入植した伊東祐長。彼の居館は郡山市方八町にありました。下の画像は方八町にある高石稲荷神社。祐長館の屋敷神だったと伝わっています。#イラスト

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昨日のツイートで「福島県古殿町に九尾狐と安倍晴明の伝説が残されている」と紹介しました。下の画像は古殿町にある晴明神社。晴明が九尾狐を見失った場所とされています。私は「創建当初は稲荷神社で、のちに狐と縁の深い晴明と混合されたのかな」と推測しています。#イラスト

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本日は郡山市史楽会からの講師依頼。『新選組と福島県郡山市』について で解説しました。1868年6月下旬、土方歳三が戦線に復帰。7月に新選組などを率い、福良(福島県郡山市)から町守屋(須賀川市)へ出撃しました。以後8月までの約1ヶ月、新選組は町守屋に長期滞陣します。#イラスト

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【講座案内】7/2(土)と7/16(土)の2回、郡山市麓山の杜にて による歴史講座『長岡藩の戊辰戦争』を開催。時間は両日とも午前10時より,入場料800円。映画『峠』公開にちなみ、私も2019年に制作した紙芝居を再演。河井継之助が率いた長岡藩の戦いを解説します。#イラスト

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本日は、あさかの学園大学からの講師依頼。『郡山市の歴史』について で解説しました。古墳時代末期になると10m未満の古墳が1ヶ所に複数つくられる〝群集墳〟が主流となります。阿尺(アサカ)と呼ばれた古代の郡山でも市内蒲倉町を中心に群集墳が形成されました。#イラスト

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本日、郡山市麓山の杜にて紙芝居による歴史講座『会津の以仁王伝説』を開催。会津で唯一、王が安息の時を過ごせたのは山本という村でした。「ここは大内裏(宮廷)にいるが如く落ち着く」ことにちなみ、村名を〝大内〟に改めさせます。福島県下郷町にある大内宿です。#紙芝居

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〝安倍晴明の伝説〟は福島県福島市にも残されています。987年、郡山から福島にやって来た晴明。ここで「異常気象に悩まされていた地元民を救った」とされています。このとき晴明が祭祀をおこなった場所が、のちに〝清明(セイメイ)町〟という地名になったそうです。#安倍晴明

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