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「山手線の電車が黄緑色なのは、大正軍縮で放出された観測気球の迷彩用薄緑を塗ったから」と言うホラ話を以前書いたが、私のプラカラー史の初期は、将に友人との軍拡競争に起因するのである。上は山手線63100型、下は京浜線6340型。
@boneofjellyfish それは知らなかった! 青箱はTOMIXブランド移行後の事ですよね。相模線が直近の国鉄線だったもので、一つ目DD13とク5000の相性はドンピだったかと。
@bys06412 ああ、当時私はそれをリアルとは思いませんでした。身近に厚木駅があったので特に足回りは相模線のホームから観察出来たりしてたんですよ。
@twn_tuubo @himeazusa ありがとうございます。これはかなり古いネタで、何時かKATO製品を塗り替えようとおもっている間に16年の歳月が流れました。去る者は日々に疎しと申します(語り:岸田今日子)
今描いたのを改めて見直すと、客ドアの次位の窓が思い切り車掌台の小窓になってる。女性車掌が声張り上げて「次はゲンゲン谷開拓、ゲンゲン谷開拓、ハイ次通過」とかやってるのか。首から提げた黒カバンに小銭ジャラジャラ言わせながら。
2002年に「未来の何か」を描くのは本当にしんどかった。増してや2020年の時点でロストフューチャーを描くのはどれだけしんどい事か。って言うか私の脳内ではこれが最新型なんだよなあ。古いヤツだとお思いでしょうが古い。
@jumbo762 是非やって頂きたいです。画像はカツミのED100にアジペイント「神は死んだ」。赤いビラは書くのが面倒だったので一様に「大入」と書いてあります。
この朝のスラップスティックは戦後間もなくから始まり、キハ101、102(41000)が入線する1970年まで車両を変えながらも継続した。70年以降は101、102、42の内の2両が、客車を1両挟む形に変化した。