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「じぶんではどうしようもないぶぶん」をせめられるのは、とてもくるしい。「じぶんではどうしようもないぶぶん」をわらわれるのは、とてもかなしい。「じぶんではどうしようもないぶぶん」をちゃかされるのは、しにたくなるほどいやだ。
いつもTwitterをみてくれて どうもありがとう いつもnoteをよんでくれて どうもありがとう これからもじぶんなりに やわらかなことばを 「あっぷるろーど(upload)」 していくからよろしくね なでなで。
かみさまでもあるまいし しっぱいせずにいきるとか できるわけないんだよね ただそんなじぶんでも みすって・すっころんで ないて・なやんだりして 「じぶんなり」に 「できるはんい」で すごしていけたなら じんせい“かみぷれい”だ。
「きびしいじんせい」をいきぬく"ちえ"もだいじだけど。どうじに、そもそも、そうまでしないといきられないのがもんだいでもあるから、きれいごとでごめんだけど、ぼくもひとごとじゃなくて、できるひとができるはんいでかえていけたらな。「あまみいっぱいだね」って、いえるようになっていけたらな。
「うまくこころがついてきてくれない」のも「からだがうごいてくれない」のも「したくてもできない」のも、ちくちくいわれたくないんだよね。いちばんつらいのは、ほかのだれでもない“じぶんじしん”だもんね。なでなで。
“わらうかどにはふくきたる” みたいなことをよくきくけど だからってあかるくいると 「なやんでない」とか 「もうだいじょうぶ」とか かるくとらえられるから “わらえなくてもふくきたる” になってくれますように。
「しんどいよ」って やっとでつたえたときに 「こっちもしんどい」って "だからしらん"みたいな いいかたをされたら もうにどと いえなくなるんだよね なでなで。
じぶんのなかでよく 「かんがえすぎ」とか 「きにしすぎ」とか "すぎ"のかふんに こころがやられるけど うまくおちつけなくて どんなにむずむずしたり なみだがこぼれたりしても いうほどかんたんには やすむことができなくて ほんとやっかいなんだよね なでなで。
のばしてきた「て」を にぎれるひとにもなりたいし のばしてくるまえから ただただのばしておいて あったかいくうきを ふんわりつくりながら 「いつでもつかんでね」って いえるひとにもなりたい。
せなかが、"てっぱん"でできてないのは「のばしたままじゃなくていい。まるくなるときもあるさ」ってことなのかもね。なみだに、“いろがついてない”のは「とうめいだとばれにくいもの。そっとながしたくなるときもあるさ」ってことなのかもね。だから、いいんだよね。なでなで。