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「あったかくね」といわれても、おかねがなくて、だんぼうとかつけられないひともいる。じじょうがあって、たえるしかないひともいる。だから、あくまでぼくはだけど、ことばのぜんごに「できるはんいでね」をつけたりする。ほかのばめんでもだけど「それがむずかしいひともいる」をわすれずにいたい。
「かかえてるくるしさ」を、ひていされたり、ばかにされたり、きめつけられたり、むげにされたりしすぎて「それでもあきらめない」「それとじょうずにつきあう」「それをぶきにする」みたいなこうどうすら、おこせなかったりするんだよね。きりかえるの、そんなかんたんじゃないんだよね。なでなで。
「やすめばいいんだよ」「はなれればいいんだよ」「こうおもえばいいんだよ」って、そんなことはわかってて、“でもできない”からつらいんだよね。やればいいは「あいてのたちば」に「じぶんのいしきのまま」たってることばにしか、きこえないんだよね。よけい、つらくなったりするんだよね。なでなで。
はんかちでひとり なみだをぬぐうなら それでもいいよ 「かくしたりするな」とか いったりしないよ ぼくがじぶんじしんの ようふくのむなもとに あたらしいはんかちを ぬいつけるだけだよ 「ここにもあるよ」って やわらかくつたえるだけだよ なでなで。
ひとをみるめがないことに なみだをするきみが 「わたしはだめなこ」って いうならそれでもいいよ 「じぶんをわるくいうな!」とか いったりしないよ ぼくはみるめがあるから 「きみはだめじゃないこ」って おもうことにするだけだよ。
「みんなこうかんがえよう!」「だれでもこうおもえばかわれるよ!」って、きのもちようみたいにいわれてもね。こころのなかの とらとうま(とらうま) にけっとばされて、まえむきにかんがえられなくなってるひともいるんだよね。それができたら、そもそもくろうしないんだよね。なでなで。
「ひとりでなやんじゃだめだよ」 「そうだんしてくれたらいいのに」 「なんではなしてくれないの」 っていわれても なかなかむずかしいんだよね いろんなりゆうで "それができない"から なやんでるんだもんね くるしんでるんだもんね なでなで。
「あのひとみたいだったら」って なんまんかいおもっただろうね 「あんなさいのうあったら」って なんまんかいおもっただろうね 「くらべるものじゃない」とか わかってるはずなのにね それでもなみだが とまってくれないのは ほんとにどうしてだろうね なでなで。
きみがじぶんのこころを いいえいいえと "くろ"だというなら それでもいいよ 「ひくつになるな」とか いったりしないよ ぼくが"しろ"になって いいぐあいにまざって そのいいえいいえも そのくろいいろも ずっとのいみでも "はい"になるまで そばにいるだけだよ。
じぶんなりの、やりかたを。じぶんなりの、いきかたを。だれかにけちつけられても、だれかにごちゃごちゃいわれても、かえたりしない。だって、このみちをこのさきずっとあるくのは、その「だれか」じゃなくて、じぶんなんだから。