//=time() ?>
こわくて、ふあんで、かかえてるものがじゃまをして、なかなかふみだせなくて、ふるえてるその「あし」も「かた」も「こころ」も、ぜんぜんださくないよ。ださくない。「できることならふみだしたい」ってきもちに、ださいもなにもないからね。なでなで。
「いいとしをして◯◯ずきなんてくさはえる」とか「そのとしにもなって◯◯なひとはもんだいがある」とかくくっていわれると、すごくきずつくんだよね。それぞれ「このみ」や「じじょう」があるものだから、いくつであってもだめじゃないからね。だめじゃない。なでなで。
なにかをけなしながら 「あれとちがってこれはすごい」 とあらわすんじゃなくて なにもけなさずに 「これすごいなあ!」 とあらわすひとでいよう。
まわりがいう「これだけでもやってみよう」の"これだけ"が、むずかしかったりするんだよね。そして、ひとりでこっそり「これだけすらできないじぶんは、やっぱりだめだめだ……」っておもいながら、なみだしてしまうんだよね。なでなで。
くるしみやかなしみが 「はんぶんこ」しやすい あいすくりーむのかたち だったらいいのにね くるしみやかなしみが すこしでもひとつでも へっていきますように なでなで。
くらべなくていいときは 「~のほうがいい」を 「~のほう『も』いい」に いいかえたりする できないひともいるから 「~するのがいい」を 「~するの『も』いい」に いいかえたりする ちょっとしたことだけど そこもだいじだとおもう。
「あさ」がきたからって むりやりあかるくなったり しなくてもいいんだよ そうはいかないじじょうも あるのかもしれないけど じょうきょうがゆるすなら かれるまでないていいんだよ だめだめじゃないからね よしよしだからね なでなで。
ひぼうちゅうしょうがつらいときに「SNSからはなれようよ」っていうのをよくきく。たしかにそれもわかるけど、ほんとは、SNSをはなれるべきは「ひどいことをするがわ」だよね。それが”いま”できなくて、すごくはがゆい。「されたがわが『たのしみをうばわれる』ってながれ」が、はやくかわるといいな。
「『じぶんらしさ』ってなんだろう?」って、たまにかんがえるけど、わからなくてもいいんだよね。らしさがわからないのもまた、じぶんだから。「まあそれが『じぶんだしさ』」なんて、ひらきなおっていこう。
あいてがつらそうなときは 「いくらでもいってほしい」 っておもうんだけど じぶんがつらいときは 「ふたんになってしまう」 「しんぱいかけたくない」 とかおもってしまって いいたくてもいえなくて かかえこんだりするときも あったりするんだよね なでなで。