//=time() ?>
たしかに、じぶんへの「はーどる」をさげれば、ちょっとしたことでもよろこべたり、じしんにつなげたりできたりもする。でも、じつは「はーどるをさげてるじじつ」で、ぎゃくによろこべなくなったり、ますますじしんがなくなったりするときも、けっこうあるんだよね。なでなで。
「おし」の"とうとさ"は おせるうちにかんじたおしたい 「おし」の"すばらしさ"は おせるうちにつたえたい 「おし」の"ありがたさ"は おせるうちにかんしゃしたい 「おし」の"おうえん"は おせるうちにおしまずしたい。
どんなにあやまられても、ゆるせないことはある。なのに、まわりに「こんなにあやまってるんだから」っていわれてもゆるさないでいると、"ひどいひとあつかい"をされるときがある。それをきめるのは、たにんじゃないのにね。ゆるせないことだって、あるよね。なでなで。
「できること」を 「できるはんい」で 「できるとき」に "いっぽずつ"がむりなら "はんぽずつ"もむりなら "0.1ずつ"くらいでやりたい それすらむずかしいときも ぜんぜんだめじゃないけどね なでなで。
「ねむれない」と 「ねむれないのはだめ」を つなげなくていいよ そういうときもあるよ ねむれないなら ぼくといっしょに "よふかし"っておかし んまんまたべようね なでなで。
「しっかりねて、ちゃんとたべて、りずむよくすごすのがだいじです」っていうのは、いわれなくてもわかってるんだよね。でも、"それができないから"、しんどいんだよね。かいけつしたいのは、そこなんだよね。なでなで。
いままで、どれだけまわりにわらわれてきただろう。それがあたりまえになって、なんねんだろう。ほんとうに「しぬほど」つらいんだよね。あんまりこういうこといわないけど、これだけは"やくそく"するよ。どんなあなたでも、ぼくはぜったいにわらわないからね。ぜったいにわらわない。なでなで。
HEART(こころ)には HEAR(きく)がはいってる それはもしかしたら こえにしたくてもできず のみこんでることばに みみをかたむけて かんじようっていう いみなのかもしれない こころがみえないのは もしかしたら みるものじゃなくて 「かんじるもの」 だからなのかもね。
なやんだぶんだけ。まよったぶんだけ。くるしんだぶんだけ。ないたぶんだけ。はなをすすったぶんだけ。じぶんをせめたぶんだけ。いのちをてばなそうとしたぶんだけ。まくらにかおをおしつけてさけんだぶんだけ。あらためてあるく「1ぽめ」が、かろやかになりますように。なりますように。なでなで。
「きもちはあるのに、からだがついてきてくれない」って、ほんとにつらい。「からだはうごくのに、きもちがついてきてくれない」も、ほんとにつらい。