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「いのちをたいせつに」は、おおくのひとがいってる。それもひつようだとおもう。いっぽうで、たいせつにしたところで、じごくみたいな「かんきょう」や「ひと」がそんざいしてて「たいせつにするいみない……」っておもってるひともいることについては、ほとんどいってくれてないんだよね。なでなで。
ごはんつぶも「あつまれあつまれ」して、ひとつぶのこさずたべるみたいに。なみだのつぶも「あつまれあつまれ」して、ひとつぶのこさずぬぐえるようになりたい。ぜんぶはむりでも、できるだけぬぐうから。めでながすなみだも、こころでながすなみだも。だから、よければここでないていいよ。なでなで。
「こんなはずじゃなかったのに」「こうなるつもりじゃなかったのに」っていう、"なりたくてなったわけじゃない"をかかえて、まいにちこぶしをにぎりしめて、はをくいしばって、はなをすすって、どこにもぶつけられなくて、ふるえをおさえながら、ひっしに、ひっしに、すごしてるんだよね。なでなで。
「おまえのせいだ」「おまえがわるいんだよ」「まちがってないよな?」「だれのおかげでいきてられるとおもってる」みたいにいわれつづけると、ぜんぶじぶんのせいにしかおもえなくなったりするんだよね。せめるなっていわれても、どうしてもせめてしまったりするんだよね。なでなで。
ひっしにふんばってる じぶんなりのまいにちが すこしでもすこしでも いいことにつながって ぷくーーーっとおおきく 「ふく」らみますように なでなで。
「しにたい」は「いきたいのうらがえし」のときもある。でも「もじどおり」のときもある。だから、どうせこうだろうって、きめつけないようにしたい。そもそもが「そうおもってしまうほどつらいんだ」かもしれないから、まずはそこにこそよりそえるひとでいたい。
ずっと、ひとにわらわれながら、いきてきた。なんどわらわれたか、かぞえるのもやめたくらいに。それが、しにたいほどつらかった。だからじゃないけど「だれのこともぜったいわらわない」って、こころにきめてる。ぼくは、きみをぜったいわらわない。
おとなだって、つらくて、くるしくて、わけわからなくなって「ぎゃんなき」をしたくなるときもあるんだよね。なでなで。
「おとな」だからみすしない 「こども」だからなやまない 「おや」だからよゆうがある 「ぷろ」だからまよわない そんなことはきっとないよね だってじんせいだれもが 「はつたいけん」だから。
ねがてぃぶなときもおおいけど、はきだしながら、なきながら、はなをすすりながら、ころびながら、くじけかけながら、どこかで「なんとかできるものならしたい」って、もがいてる。もうそれだけで、めちゃくちゃえらいってことでいいよね。なでなで。